みやこ町歴史民俗博物館/WEB博物館「みやこ遺産」

みやこの「ひと(先人の事績)」

寺田寅彦書簡

大正9年(1920)

598_001    598_002
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[表]
消印午後6時-7時
赤坂区青山南町
六ノ一〇八
 小宮豊隆様
     本郷曙町十三
      寺田寅彦


[裏]
Tageblatt御送り被下難有う御坐いました、早速拝見しましたが丸で御話しにならないやうな茶番であつたらしい、どうしてもクナイペの揚句のやつゝけろ位から起つてそして酔のさめない内にやつた事としか思はれない、ワイランドといふ人はアインシユタインも云って居るやうに物理学者としてはまるで知られない人だから未だいゝが、あのゲールケといふのは相応な仕事もした男だのに一体どうしたのか了解が出来ない。彼の呈出したらしいEinwandの如きはとうに駄目になつて居る事は僕等でも知つて居る位だのにとても本気とは思はれません。」 ルーベンス等は常識家だから実際困つて居るでしやう、独逸の学者の信用に関すると思つて心配して居るだらうと推察が出来ます」 ゲールケはルーベンスの教室のコロキウムで時〻逢つて顔付やら何やらがまだ頭に残つて居るので此の顛末を多少あり/\思ひ浮べました」 しかしアインシユタインも不相変皮肉だなと思つた」 ザルツブルヒからの同情電報の署名に僕の知つて居る学者は居なくて、マクス、ラインハルトやそれから女の名前が並んで居たのは一寸ゾンダーバールな気がした」独逸人でない吾〻迄も独逸人の為に冷汗を流しました。」    十月十八日

十六日からヤツト陰性になりました