田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

3 三井田川鉱業所

3-2 炭鉱開発

 久良知(くらち)寅次郎は慶応2(1866)年、築城郡上深野村(現築上町)の大庄屋の次男として生まれ、明治16(1883)年、父重敏、長男政市、政市の娘婿蔵内保房と共に田川郡で炭鉱経営を始めました。田川郡弓削田(ゆげた)村の峰地炭坑は明治21(1888)年には1000万斤以上の筑豊の主要炭坑に挙げられています。政市は不幸にも明治21(1888)年40歳で亡くなり、次男の寅次郎が跡を継ぎました。明治26(1893)年に久良知寅次郎は田川郡弓削田村の坑区を買い受けています。弓削田村は明治20年代に蔵内次郎作・久良知寅次郎・片山逸太など石炭鉱業史に名を列ねる人々が炭鉱開発に関わった地域です。寅次郎は、峰地炭坑をはじめ起行炭坑、小松炭坑と中元寺川周辺で着々と炭鉱経営を進めました。寅次郎は明治28(1895)年に衆議院議員に当選しましたが、明治35(1902)年37歳で東京に上京中の大阪で病死します。父重敏も有能な息子2人に先立たれ気落ちしたのか、その2年後に他界しました。その後、同族の蔵内家が炭鉱経営を引き継ぎました。彼は、自見庄三郎元金融大臣の母方の曽祖父にあたります。
 寅次郎の銅像は長沼守敬作で、田川市川宮の法光寺にありました。戦時中の金属供出令で無くなったものと思われていましたが、親族の方が首から上の部分だけを保存していました。その頭部が、田川市石炭・歴史博物館に寄贈され保管されていることが分かり、新聞で報道されました。法光寺には台座が残されており、現在は親鸞聖人像が立っています。
 

久良知寅次郎像の頭部と肖像写真
提供:田川市石炭・歴史博物館

 
参考文献
阿部正紀(2013)「久良知寅次郎像のこと」『郷土田川』48,田川郷土研究会.
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
中山主膳(1959)「久良知重敏翁の実歴談」『門司郷土叢書』門司市立図書館.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.