田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

3 三井田川鉱業所

3-2 炭鉱開発

 明治日本の近代化をはかるために、日本古来の「たたら」製鉄ではなく、西欧の溶鉱炉による大規模な製鉄所が必要になりました。当時の技術では、鉄鉱石を溶かして1tの銑鉄(せんてつ)を作るためには約7tの石炭が必要でした。石炭は、ただ鉄を溶かす燃料としてだけでなく、鉄の酸化物として自然に存在する鉄鉱石から鉄を取り出すには還元作用(酸素を取り除くこと)が必要です。このために石炭に含まれる炭素が還元剤として必要でした。
 全国でも石炭が豊富でカロリーが高いのは福岡県の筑豊地方で、製鉄所を筑豊に近い八幡(現北九州市八幡地域)につくることが決定されました。筑豊の石炭は主に燃料として使われていきました。工部省鉱山課が明治18年頃に作った『鉱山借区図』も大いに参考になったことでしょう。最初は、技師長グスタフ・トッペなど3名のドイツ人技師と12名の職工長・職工らが指導しています。明治34(1901)年に、伊藤博文の富国政策のもとで多額の資金を投入して、国が造った製鉄所として官営八幡製鐵所が完成しました。完成前に視察に来た伊藤博文、井上馨、伊藤伝右衛門などが写っています。探してみましょう。
 

伊藤博文、井上馨らの官営八幡製鐵所建設中における視察時(明治33年)
提供:新日鐵住金(株)八幡製鐵所

 
参考文献
八幡製鐵株式会社(1950)『八幡製鐵所五十年誌』八幡製鐵株式会社.
小林正彬(1977)『八幡製鉄所』教育社歴史新書112.
佐木隆三(2004)『宿老・田中熊吉伝』㈱文芸春秋.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.