田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

2 鉱山借区図と伊能忠敬

2-1 伊能忠敬

 香春(かわら)は風土記や万葉集などにもでてくる古い地名ですが、香春町は1640年代の終わり頃の『正保年間豊前六郡圖』にもみえます。永禄年間に香春岳城の城下町として成立し、筑前大隈道、猪膝道、香春道、小倉街道の秋月街道と、筑前飯塚道、豊後日田道、彦山道、上野(あがの)などの交通の要衝として繁栄してきました。
 伊能忠敬も第八次測量のときには、文化9(1812)年と文化10(1813)年の2度香春を測量しています。文化十年は猪膝(いのひざ)、後藤寺(ごとうじ)新町伊田から香春神社で打止し、香春に宿泊しました。止宿(ししゅく)地の本陣は、年寄の米屋源右衛門宅で、脇本陣は博多屋勘助宅です。香春神社の鳥居や下香春、山下町のことが『測量日記』にもでてきます。天体観測も香春で行っています。参照:測量経路(香春) 参照:測量経路(伊田)
 幕末には小倉藩と長州藩との小倉戦争が行われました。小倉藩は島村志津摩(しまむらしずま)を中心に長州藩と戦い、小倉城に火を放って香春に撤退しましたが、長州藩を金辺峠(きべとうげ)で撃退しました。その後、香春には香春藩がおかれました。終戦交渉が行われた時の香春藩士への慶應4(1868)年の通達が『席達(せきたつ)』として残されています。慶応3(1867)年から明治2(1869)年までの数年間を香春藩といい、それ以降は豊津(とよつ)藩となりました。
 明治28(1895)年香春駅(現勾金駅)が豊州鉄道によって開業し、宮尾炭鉱、仲津原炭鉱、上清炭鉱など中小の炭鉱開発がおこなわれました。三井田川の第五坑も開発されました。
 

香春岳
提供:個人蔵

『席達』
目録を見る  ビューアを見る

 
参考文献
田川郷土研究会(1991-1993)「田川の郷土資料紹介(1.2.3)‐幕末・明治維新‐「席達」(豊前小倉藩・藩重役より藩士への通達)」『郷土田川』第34.35.36号,田川郷土研究会.
香春町史編纂委員会(2001)『香春町史 上巻』香春町.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
小倉鐵道沿線名所圖繪』昭和3(1928)年 小倉鉄道.