田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

2 鉱山借区図と伊能忠敬

2-1 伊能忠敬

 伊田は井田、飯田から転訛したと云われますが、鎌倉期には伊田別符が記録にみえます。1640年代の終わり頃の『正保年間豊前六郡圖』には伊田、伊田ノ内、伊田ノ内新町がみえます。1700年頃の『元禄豊前国絵図』にも、上伊田、下伊田、新町とあります。
 1800年代の伊能大図にも上伊田村(新町、番田(ばんだ))、下伊田村(鉄砲町、橋本)の2ヶ村が書かれています。伊能忠敬後藤寺(ごとうじ)から、岩峠を越え伊田を測量しています。『測量日記』にも「岩峠上伊田村枝新町、左恵美須社、伊田川仮橋二十間」とあります。参照:測量経路(伊田)
 植木孫左衛門が石場に炭坑開発したのは江戸時代の17世紀後半です。そのころには番田に船場があり、水運で石炭は岩淵まで運ばれ、遠くは瀬戸内海の塩田で使われるようになりました。風治八幡宮のある宮山(高羽山)を中心に番田池の水源を利用した番田の田が広がる農村でした。
 明治22(1889)年に上伊田、中伊田、下伊田の三ヶ村が合併して伊田村が成立しました。明治27(1894)年に田川採炭会社が伊田坑を開削し、翌年、豊州鉄道によって伊田駅が開業し行橋(ゆくはし)-伊田間がつながります。明治33(1900)年に三井田川が進出すると明治30年代に町が形成され、伊田町(大正3年~昭和18年)は大きく変化していきました。
 

伊田駅から見た三井田川伊田坑の二本煙突と二基の竪坑櫓
提供:個人蔵

伊田町番田(大正13年)
出典:『伊田町全圖』

 
参考文献
和田泰光(1930)『伊田町誌』筑豊之実業社.
永末十四生(1954)「番田ごうらの流れに生きて」『郷土田川』1-1,田川郷土研究会.
永末十四生(1954)「草わけの人々」『郷土田川』1-3,田川郷土研究会.
田川市誌編纂委員会(1954)『田川市誌』田川市.
田川市史編纂委員会(1979)『田川市史 中巻』田川市.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.  各地点を見る→伊田 新町
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
『伊田町全圖』大正13(1924)年 伊田町役場.