田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

2 鉱山借区図と伊能忠敬

2-1 伊能忠敬

 伊能忠敬(1745-1818)は、酒造業を商っていましたが、49歳で隠居すると幕府天文方・高橋至時に入門し、天文・暦学を学び地球の大きさを測るために測量を始めました。寛政12(1800)年から文化13(1816)年まで、17年間で第十次まで全国を測量し、実測による史上初の日本地図『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)』を完成させました。
 伊能忠敬は全国第八次測量で、文化9(1812)年7月11日には福岡県の英彦山(ひこさん)会所に止宿(ししゅく)しています。12日に英彦山測量、13日には16日の月食測量のため雨の中、小倉へ向かうため香春に止宿しました。測量隊は7月14日に下今任(しもいまとう)の十輪院で小休止をとり鶴岡八幡宮の八幡坂、山下町の「筑前豊前街道追分碑」まで測り、7月15日には小倉へ向かっています。これらの記録は測量日記に詳しく書かれています。
参照:測量経路(香春)
 文化10(1813)年10月10日には、大隈(おおくま)を出発し、小倉街道(秋月街道)の街道筋を測量しています。この時、測量隊は後藤寺(ごとうじ)では二村武兵衛(にむら ぶひょうえ)宅で昼休みをとりました。伊田へ入り新町・鉄砲町・下香春を経て、下香春の「筑前追分」を通過し、香春(かわら)の町年寄米屋源右衛門宅に止宿しました。翌日には郡境の金辺峠(きべとうげ)を越え小倉へ向かっています。第八次測量の頃、測量隊は19名で、支援隊は150名程度と推定されます。伊能の実測図は明治期の地形図をはじめ鉱山借区図などに利用されました。最終的には昭和4(1929)年まで使われた地図もありました。参照:測量経路(伊田)
 

富岡八幡宮の伊能忠敬像
撮影:中野直毅

 
参考文献
原田種純、今永正樹(1976)『伊能忠敬 測量日記』九州ふるさと文献刊行会.
清水靖夫、長岡正利、渡辺一郎(2002)『伊能圖』武揚堂.
大任町誌編纂委員会(2004)『大任町誌 ふるさと大任下巻』田川郡大任町.
ふるさと文化誌編纂委員会(2017)『ふるさと文化誌 田川の里物語』福岡県文化団体連合会.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.  各地点を見る→後藤寺 伊田 香春
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.