田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

1 筑豊の水運、鉄道

1-3 鉄道

 田川市役所の駐車場(旧市立病院跡)の裏手に後藤寺(ごとうじ)隧道があったのを知る人は、現在ではほとんどいません。旧後藤寺隧道近辺の古老の方への聞き取りでは、「親から<昔、ここにトンネルがあった>と聞いた」だけで実際に目にした人はいませんでした。鉄道関係者の話では、「残されている基礎部分の幅は約8メートルあった。複線用の隧道では?」ということでした。明治33(1900)年「大日本帝国陸地測量部 後藤寺」地図には、後藤寺隧道は載っていますが、昭和11(1936)年「大日本帝国陸地測量部 後藤寺」地図には、すでに隧道はありません。いつから後藤寺隧道が現在のような切通しになったのか、大工事にしては記録が残されていません。
 また、旧後藤寺隧道から後藤寺駅(現田川後藤寺駅)間の身内谷川に下駄ッ歯の橋梁があり、幅を広くとってJR九州の鉄道用地境界杭が打ち込まれています。このことからも田川採炭会社の近くにつくられた後藤寺駅まで複線化の予定だったことは明らかです。後藤寺駅から豊前川崎駅までは豊州鉄道が敷設し、豊州鉄道を吸収合併した九州鉄道が、添田駅(現西添田駅)まで敷設していますが単線用の橋梁、隧道だけです。
 

身内谷川の橋梁
撮影:加治泰幸

 
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豊前川崎・西添田間の真木隧道(単線用)

切通しになった旧後藤寺隧道(複線用)
撮影:加治泰幸

 
参考文献
日本国有鉄道(1972)『日本国有鉄道百年史年表』日本国有鉄道.
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
 
地図
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.