田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

1 筑豊の水運、鉄道

1-3 鉄道

 豊州鉄道は、行橋(ゆくはし)に本社を置き行橋-伊田間の開通へ向け工事をすすめました。石坂トンネルは、田川郡赤村と京都(みやこ)郡みやこ町をつなぐ九州で一番古いトンネルです。九州鉄道は、技術顧問にドイツ人技師(プロシア国有鉄道機械監督)のヘルマン・ルムシュッテル(明治20年来日-27年帰国)を招き、技師長は野辺地久記(のへじひさき)としました。野辺地は豊州鉄道から明治26(1893)年10月に技師長として招かれると、行橋-伊田全線の測量と設計を7か月間で終え、わずか14ケ月間で工事を進め、明治28(1895)年の完成をめざしました。第一トンネルは側壁と迫石の下半分が素掘りの岩盤で、他は全てレンガ構造で装飾的技法を取り入れています。それに対し、第二トンネルは坑門が石積みで他は全て煉瓦積みでできています。
 明治28(1895)年香春(かわら)駅(現勾金(まがりかね)駅)と伊田駅(現田川伊田駅)が開業し、翌年後藤寺(ごとうじ)駅(現田川後藤寺駅)が開業されると、田川郡内の石炭運搬は水運から鉄道に置き換わっていきました。石炭を運ぶため豊州鉄道は将来の複線化を見越して、建設しましたが単線のまま使用しました。明治34(1901)年に豊州鉄道は九州鉄道に合併され、現在は平成筑豊鉄道田川線となって運行が続けられています。
 石坂トンネル(第二隧道)は、平成11(1999)年11月18日に国登録文化財(建造物)に指定されました。同じ国登録文化財の内田三連橋梁(現赤村内田)には、煉瓦を下駄歯状の凹凸面に新しい煉瓦を差し込み拡幅していく構造として複線化未完の跡が残っています。
 明治33(1900)年に三井田川後藤寺で創業し、明治34(1901)年に官営八幡製鐵所が操業開始すると、筑豊の豊富な石炭が筑豊全域に広がった鉄道網によって供給されていきました。
 

石坂トンネル(平成29年)
撮影:中野直毅

内田三連橋梁
撮影:阿部正紀

 
参考文献
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
山内公二(2017)『新京築風土記』幸文堂出版.
 
地図
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.