田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

1 筑豊の水運、鉄道

1-3 鉄道

 産出した石炭を大量輸送するため鉄道の敷設は、炭鉱経営者の宿願でした。鉄道敷設のため明治21(1888)年に筑豊興業鉄道会社、同じころ豊州鉄道会社が設立されました。筑豊興業鉄道は本社を直方(のおがた)に置き、若松から飯塚・赤池まで計画しました。豊州鉄道は行橋(ゆくはし)から伊田までの鉄道敷設をめざしました。筑豊興業では、川船船頭の猛反対と資金難でなかなか工事は進みませんでした。
 麻生太吉や安川敬一郎らは、中央財界の援助や船頭らの説得に努め、明治24(1891)年8月30日に若松―直方間の鉄道が開通し、直方から石炭を積んだ列車が若松に向けて出発しました。それから後、鉄道敷設は着々と進み、明治25(1892)年には人見徳人原(ひとみとくじんばる)の台地が開削され、中元寺川(ちゅうがんじがわ)に鉄橋が架けられ、明治26(1893)年2月11日には、直方から金田(かなだ)まで鉄道が伸びて来て、金田停車場が開業しました。金田駅は当初川艜(かわひらた)河港の岩淵に近い赤池に設置する計画であったということですが、ここでも川艜船頭たちの猛反対にあい、現在の金田駅に変更されたといいます。
 明治28(1895)年豊州鉄道により行橋-伊田間が開通し香春(かわら)駅(現勾金(まがりかね)駅)を経由して伊田駅(現田川伊田駅)までつながりました。途中の石坂トンネルは九州で一番古いトンネルとして有名です。翌年後藤寺(ごとうじ)駅(現田川後藤寺駅)が開業し、川崎駅(現豊前川崎駅)、添田駅(現西添田駅)へと田川の鉄道は延伸してゆきました。こうして明治34(1901)年創業の官営八幡製鐵所へ、筑豊の石炭は豊富に供給されていきました。
 

伊田・後藤寺中心の鉄道開通略図
出典:『田川市史中巻』

鉄道路線図(明治36年)
出典:『三井田川鉱業所伊田坑跡』

 
参考文献
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
田川市史編纂委員会(1979)『田川市史 中巻』田川市.
田川市教育委員会(2016)『三井田川鉱業所伊田坑跡-福岡県田川市所在炭鉱遺跡発掘調査報告』.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.  各地点を見る→後藤寺 伊田 香春
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.