田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

1 筑豊の水運、鉄道

1-2 水運

 田川市伊田の石場は、福智町赤池の坊主ケ谷(ぼうずがだに)と並んで田川地域でも古い石炭発見の伝説のある地です。逸話は複数語り伝えられており、いずれも、炊さんや焚き火をしている時に、黒い石が燃えだしたといいます。「豊臣秀吉の九州出兵のとき、香春岳鬼ヶ城の城主高橋氏は島津~秋月に組したため落城の憂き目をみたが、城士の村上義信は落ちのびて潜伏中、付近の黒い石でかまどを組んで炊さんしたところ、石が煙り、燃えはじめたという伝説がある。この場所が石場と伝えられている。」この落城は、天正14(1586)年暮です。また、石場の本格的な炭坑開発は17世紀後半に伊田の植木孫左衛門が行ったといいます。石炭を掘った坑道跡が涼しいので人々が通行に利用したと云います。同じく、17世紀後半、弓削田(ゆげた)後藤寺(ごとうじ)宮床(みやとこ)の炭坑開発が始まっていました。
 18世紀中頃には宗像郡の塩浜で利用されはじめ、18世紀末には博多でも筑豊の石炭は利用されています。その頃の炭坑は狸堀(たぬきぼり)などと称され、小さな坑道です。撞木杖(しゅもくづえ)という30cmほどの杖をついて坑道内で石炭を運び、セナで担ぎテボという篭に背負って、川艜(かわひらた)にのせて運搬されていたようです。19世紀中頃、彦山川(ひこさんがわ)では川渡り神幸祭の渡り場所から番田(ばんだ)橋にかけて番田(ばんだ)の船場があったと伝えられています。また、後藤寺や弓削田の石炭も中元寺川(ちゅうがんじがわ)の宮床の船場から赤池会所まで運び岩淵で積み替えられ、18世紀末には瀬戸内の塩田まで運ばれました。
 

絵:是澤清一

 
参考文献
和田泰光(1930)『伊田町誌』筑豊之実業社.
田川市誌編纂委員会(1954)『田川市誌』田川市.
田川市史編纂委員会(1979)『田川市史 中巻』田川市.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
『伊田町全圖』大正13(1924)年 伊田町役場.