田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

1 筑豊の水運、鉄道

1-2 水運

 川筋気質(かわすじかたぎ)とは、遠賀川筋(おんがかわすじ)と洞海湾周辺地域の人々の気質を総括的に表現した言葉です。その由来は、明治時代の川艜(かわひらた)の船頭や石炭採掘に関係する人々とその地域に生きた住民も含む生きざまを表しています。
 明治初期までの筑豊の石炭運搬は川艜による水運が中心で、赤池会所のあった岩淵で積み替えられ若松へ運ばれていました。芦屋船頭は多くの者が専業でした。それに比べて豊前船頭は農業が専業であったため、気質が大きく違い純朴な人が多かったようです。
 また、日本の産業を石炭で支え、危険・きつい・汚いと見られていた炭坑現場では、進取、先進性、開拓精神にあふれ、忍耐、自己犠牲、奉仕の意識が大きかったのです。現場の安全は、自分のみならず、全体の命を守り合うのが日常当たり前でした。
 しかし、その一方で、各地から集まった人々の間では、気力、腕力がまかり通った事もありました。炭坑ごとに、暴力的統制力を発揮する人々が集まり、会社や地域の安全や防御に存在感をもっていました。旧来の農村の人々は、炭坑地域に、「野菜は買ってもらうが、付き合いは別だ」などの警戒と排除意識も持続したようです。
 

川ひらたと船頭さん3 山本作兵衛
©Yamamoto Family 田川市石炭・歴史博物館所蔵

 
参考文献
安蘓龍生(2004)「川筋気質の原型考」『郷土田川』43号,田川郷土研究会.
永末十四生(1954)「川舟船頭の回顧談」『郷土田川』1-2,田川郷土研究会.
赤池町史編纂委員会(1977)『赤池町史』赤池町.
金田町教育委員会(1999)『金田町誌』金田町.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.