田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ

解説

1 筑豊の水運、鉄道

 筑豊という地域名称は、北部九州を縦貫する源流の嘉麻川(かまがわ)と遠賀川(おんががわ)流域及びその支流である穂波川(ほなみがわ)・彦山川(ひこさんがわ)・中元寺川(ちゅうがんじがわ)・犬鳴川(いぬなきがわ)・西川(にしかわ)の流域に広がっている石炭産出に由来する地域名称です。遠賀川の起点から、海口まで約56.7㎞、東西12~28㎞に達し、約787㎢の面積を占めています。
 明治18(1885)年、国・県の指導のもと、直方(のおがた)において筑前国・豊前国石炭坑業組合が結成され、その支所が若松に設置されました。支所は、筑前国と豊前国の一文字ずつをとって11月21日に筑豊五郡坑業組合取締所となり、石炭一括販売所を併設、直方・芦屋を支部としました。これが筑豊の地域名称の初表記です。
 翌年1月、若松の坑業組合取締所に隣接して筑豊五郡川艜同業組合設立、この年、川艜(かわひらた)による若松着炭は300,000tにもなりました。なお、五郡とは、当時は若松・八幡・戸畑を含む旧遠賀郡・鞍手郡・穂波郡・嘉麻郡・田川郡を意味し、日常活動には隣接する企救(きく)郡、宗像郡の炭坑も参画していました。現在の生活圏としての筑豊は旧遠賀郡を除いた認識で受け止められています。
 田川地方の石炭発見伝説は、福智町赤池の坊主ケ谷と田川市伊田石場がよく知られています。近世から行われていた水運による石炭運搬も、明治の中頃から次第に鉄道輸送にとってかわられました。
 

遠賀川源流の地 撮影:安蘇龍生

筑豊の範囲

 
参考文献
安蘓龍生(2008)「《筑豊》明治20年代前後の産炭地の展開」『田川市石炭・歴史博物館 館報』1,田川市石炭・歴史博物館.
田川市教育委員会(2016)『三井田川鉱業所伊田坑跡-福岡県田川市所在炭鉱遺跡発掘調査報告』.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.  各地点を見る→後藤寺 伊田 香春