下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ

下松市史 通史編

第五編 現代の下松

第二章 産業・経済

4 交通・通信

(3) 海運

 笠戸巡航株式会社は新川を起点に、本浦航路、深浦航路(尾郷、江の浦、大松ケ浦、小深浦、深浦)および大島航路(徳山市)を運航して、笠戸島と下松の中心地を結ぶ市民の足として発展してきた。一九五一年には、笠戸ドックの復興とともに利用者も増加し、同年の利用者は、本浦航路一〇万四七六七人、深浦航路五九万三一三四人、大島航路一七万二二六九人、合計八七万一七〇人に達した。このため、老朽巡航船の新造船への更新を行い、利用者の安全と利便を図るため、増資と運賃改定を計画した。
 当時、島の住民から、笠戸巡航船の整備充実のため市営化について強い要望があり、市議会では交通特別委員会を設置して調査、検討を行い、市が会社の運営に参加することを要望した。五二年会社は、近代化計画を具体化するため、資本金五〇万円(二万五〇〇〇株)を二〇〇万円(一〇万株)に増資することとし、増資分の二割(三〇万円)を市から受け入れた。市はこれと同時に、新川~江の浦航路を、市道本町・江の浦線として市道認定を行った。このことから、市は笠戸巡航株式会社の経営に参加するとともに、しだいに持株を増加(発行株数の三分の一)し、経営参加を強めるとともに、下松市長が社長を兼務することとなった。
 その後、島民の足として発展していたが、物価上昇時期、長期間(八年間)運賃据置きを行ったため、五九年度には、一六〇万円の赤字を計上する見込みとなった。この対策として、会社は経営合理化のため会社が保有する六桟橋(深浦、小深浦、江の浦、尾郷、大松ケ浦、本浦)を市に寄付するとともに、同年海運局の認可を得て運賃の改定(二割程度値上げ)を行うこととした。
 ところが、島部市民を中心に再度市営化要望が強まり、市議会は巡航船公営調査特別委員会を設置してその対策に当たった。その結果、当面笠戸巡航株式会社を市営化することは困難であるので、増資を行い、市が株式の過半数を保有して、会社を準公営化することとなり、また学生割引助成ということで多額の助成を行い、当分の間運賃改定を抑制することとなった。このように、笠戸巡航はしだいに公営企業の色彩が強くなり、海の市道として運営されるようになった。七〇年十一月笠戸大橋が完成して、笠戸島は陸路続きとなり、江の浦まで定期バスの運行が開始された。今まで島民の足であった巡航船は、笠戸ドック従業員の通勤用が主となり、七二年十月には江の浦~下松間の定期バスが本浦乗入れを行うと同時に、巡航船本浦航路は廃止となった。
 その後、七七年三月末、県道笠戸島全線の整備が完了して、深浦までバスの運航が延長され、島民の生活を支え、長い歴史を重ねた巡航船は、完全に廃止となった。これと同時に笠戸巡航株式会社も損失金四二〇〇万円を市負担一八八〇万円(内九四〇万円県助成)、笠戸ドックの負担二三二〇万円で整理して解散した。