宇部市教育委員会/宇部市デジタルミュージアム

宇部市の文化財

福原家文書 翻刻

毛利輝元書状 熊谷家関連

画像を見る
熊(熊谷元直)豊事を、最前其元にて(毛利)秀元へも神文共之儀申て可
 申候哉、大事之儀候、若候間もし一二人も被聞せ候へハと存、御方へ可相談と存、万取紛候而□□□□□□不申談候、然者山口(周防)へよられ候へ、少可申談と申候へハ、不審かられ候て、さハ成ましく候とて、ふと木津(摂津)へ被越候、六かしきこと共申候ハん哉との心持候つるや、以節(西清房)被召連候、然間先秀元口を引見候て、其随而神文こと可申存候処、一円に其所へ参さうもなく候つる間、うかと
申出以節なとへ被申候へハ一大事事候、後日ニ□□□(機嫌悪)ハ不苦可申理候、当分仕そんし候へハ、外聞実大事と存不申候て罷下候、然間兼日椙杜(元縁)召寄置候而、元政相(毛利)副此理を申て候、一段分別よく日申候間、我ゝ案(安)堵申候、乍勿論近比之分別候、不及申候
 
 
一 (吉川)広家袋へも此者にて理申候、無残所被申事候、其趣委細木(木原元定)二兵可申候、不能多筆候、次今度椙杜ふきけん(不機嫌)に候て罷帰候、なにとしたる儀候哉と不審申事候、我ゝ推量ハ、兼日よひ候而此儀不申聞、其当座にて申聞故かと存候、其身我ゝへ無心底内之者にて候に、不届と申事たるへく候、其時申事ニ、只今ならハ不存候と申候、さてハ不届と存候御事と存候、是ハ尤候、乍去一人二人つゝ間候へハ、一大事と存候て不申候、佐長(佐世元嘉)・榎中(榎本元吉)・井四(井原元以)なとニさへ申聞所一大事存候つれとも、さなく候ヘハ、調儀談合も不成、身ニ仕者無之故神文させ候てから申候、それさへ□(彼)者のていわるさかしさ非大かた者候へハ、とく悉心得たるけに候へとも天道つき候てあたり候て、其用心なくうつけ者かり申候て者て候、たゝ時剋/\之物にて候間、あたり候も不入物と見へ候、我ゝふにて候、此段何も面ニ可申候/\、かしく
   (慶長十年七月)十一日          (毛利輝元)(花押)
 
 
一 二郎三郎(熊谷元貞)事、可助置儀ニあらす候へとも、対秀元助置候、其趣秀元へ申候ヘハ、一段祝着かりにて候、然ハ我ゝへハなにとも不被申候、両三人まての内ゝニハ、熊豊知行く者りなと不成様心得候而くれ候へ、わひこと可申と被申候、是ハ秀元分別たらす候、二郎三郎助置候こそ千万之届候、熊谷(元直)数□(年)我ゝへ之くわんたい(緩怠)故、如此候時ハ下子共ハ縦助候共、二郎三郎ハ者たし候ハて不叶順儀候へとも、対秀元候てこそ助候へ、日頼(毛利元就)さまハ御兄弟相合(元綱)殿をさへ、科候へハ御者たし候本之事候へハ、秀元可被申所ハ、熊谷数年くわんたい付而被仰付候、然者二郎三郎こと御助置、対秀元御志ハ千万忝候、然共科人之孫、ことニ家之人躰事候間、秀元おやこ間と候ても、○(被)助置候事ハ大躰不可然候、親子間ニても心/\者候へハ、以来被助置忝と、藤七郎(毛利秀就)へ奉公候ハんも不存候間、被果置可然儀候、左候処如此之儀対秀元忝候、御理之上ハ、然ハ手前へも召寄置可申候と被申候て、助置所有間敷儀ニ被存候てこそ本之事候、縦い又知行之事被申候共、此節ハ一言も被申事にてハ有之間敷所候、連ゝ自然人ニも成心持も、熊豊ニ引ちかへ、其身御用ニも立へきと存所見すへ候ハゝ、其時ハ御わひことをも可申上候哉、只ゝ申所にてハゆめ/\無之とこそ可被申候、又可被存候儀候
 
 
ニ 助置候からハ家を其まゝ遣、知行無相違遣候ハてハとたゝ一ゑ之被申分、更不及分別事候、秀元者しめハとかく御意次第と被申候つるか、以節(西清房)・椙杜(元縁)ニ内談と見へ候てから相替之由、使とも申候、椙杜ハ定而とかく申ましく候、以節申ニ付而右通之返事と存候、然間従我等ハ勿論なにとも不申候而、先(毛利)元政一人にて元政内儀□(之)様ニ被申候而可然之通申候て、昨日其分被申遣候、是ほとニ申付候跡を、其まゝ立候との仕儀不存事候、乍去又可立儀にてもあるへく候哉、御方内意之所此返事ニ具可承候、少も勿論御用捨ためらい候ましく候、さてこそ其段ハ申旧候、御分別前候、不及申候/\、為御心得候/\、恐ゝかしく
   福越参