東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

『万葉火』を灯す町

5.安芸津と万葉

万葉歌碑(まんようかひ)

万葉集巻15には、天平(てんぴょう)8年(736)に遣(つか)わされた遣新羅使の歌が収録(しゅうろく)されていて、その歌をたどっていくとその時の遣新羅使船の停泊地(ていはくち)がわかります。
 
 一行(いっこう)は736年6月、難波津(なにわづ)(大阪市)を出立~「明石(あかし)の浦」(兵庫県明石市)~「多麻(たま)の浦」(倉敷市玉島)~「長井(ながい)の浦」(広島県三原市)~「風早の浦」(東広島市安芸津町)~「長門(ながと)の浦」(呉市倉橋町)~「麻里布(まりふ)の浦」(山口県岩国市)~「熊毛(くまげ)の浦」(山口県熊毛郡平生(ひらお)町)に停泊しながら、「分間(わくま)の浦」(大分県中津市)に到着(とうちゃく)。その後、関門海峡(かんもんかいきょう)を通過(つうか)し7月ころ博多(はかた)に到着したといわれています。
 

【出典:遣新羅使の瀬戸内海航路】
『新版 古代の日本』4 中国・四国(1992)

 
今の大阪から博多まで、約1ヶ月もかかったんじゃね。山口県の「熊毛の浦」からは、同じ山口県の「佐婆津(さばつ)」を目指しとった。でも、周防灘(すおうなだ)で嵐(あらし)におうて流され、大分県の「分間の浦」に漂着(ひょうちゃく)したんじゃ。命がけの航海だったんじゃね。