東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

東広島市の石造物

資料編

3 用語解説

盃状穴 はいじょうけつ
 盃状穴は英語でカップマークといい、一万年前に北欧スカンジナビヤ地方で直径10cm前後の丸い形を沢山岩盤などに描き子孫の繁栄などを祈願した。
 その風習は、その後フランス、中国、朝鮮半島を経由して日本にも伝来した。
 日本の墳墓の盃状穴の所見は石棺の蓋に直径2~3cm、深さ1.5cm程度の穴をたくさん穿ったものが山口県で発見された。
 江戸時代になるとこの風習は全国的にひろがり、人気のある社寺の手水鉢に穴を穿ち祈願することが盛んになった。東広島市内で把握している盃状穴は14か所である。
 
八十八石仏 はちじゅうはちせきぶつ
 四国巡礼は弘法人師(空海)の遺徳を慕って、人師ゆかりの四国八十八寺を参詣する。これにあやかり、全国各地で八十八基の石仏を安置してこれを巡拝することがおこなわれている。
 
八条原城跡 はちじょうばらじょうあと
 広島藩は明治維新のとき広島城が戦禍に巻き込まれたときの隠城(第2の城)として、四方を山で囲まれた要害の地、現東広島市志和町の地に260m四方の城を築城した。本人・政治堂・米倉庫・水車、練兵場を整え石塁で防御した。さらに広島城内にあった家臣の子弟の学校である文武塾を移し開校した。