東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

東広島市の石造物

遺物編

第1章 信仰(1)

14 古墓

 (県史跡)
所在地 東広島市西条中央八丁目
年 代 江戸時代 嘉永六年(1853)
形 状 花崗岩 高さ二二七cm ヨコ一四四cm タテ一三二cm
銘 文 完山野阪先生碑
     (左側面、背面、右側面あわせて全文字数一千を超える長文である。)
概 要 完山の十三回忌(嘉永五年)に門人百名が墓碑建立、撰文は江木鰐水。
 野坂完山(1785~1840)は江戸時代後期の医家であり、名は健、字は子乾、通称を三益、完山は号である。父祖歴代医を業とした。広島の三宅氏、京都の中神琴渓の門に学んだ。御医師格に列したが願いでて終生寺家村を離れず村医として医療に従った。貧しい者へも進んで無料診療に応じ、屋敷内に恭塾を設けて、医学、漢学を教授し、儒、医に関する著述もある。
  「鶴亭日記」四十六巻は四十年余にわたる膨大な著作で江戸時代の政治、経済、文化史の貴重な資料で、漢詩を詠み、俳号を柴籬と称し俳諧をよくした。
 墓は野坂家墓地にある。

[野坂完山の墓]