津山郷土博物館/「江戸一目図屏風」等

「江戸一目図屏風」等

江戸一目図屏風


見どころ(解説)


サムネイル画像をクリックすると、
高精細画像の該当場所
へジャンプします。
(以下の画像も同様)

国持ち大名に並ぶ津山藩鍛冶橋藩邸 (千代田区丸の内一丁目東京駅付近)
 江戸の町並みから江戸城内へと続く鍜冶橋を渡り、鍛冶橋門を抜けてすぐ右手にある屋敷が、津山藩松平家の上屋敷である。その周辺には、山内家・岡山池田家・鳥取池田家・蜂須賀家・細川家などの屋敷が集まっている。通称「大名小路」の一角である。
 文化六年(一八〇九)当時、五万石の小藩に過ぎなかった津山松平家が、この場所に屋敷を構えているのは、徳川家康直系の血筋によるものである。
 なお、ここには国持大名格の門が描かれている。
漁船の船底を焚でる煙が立ち上る佃島 (中央区佃島一丁目付近)
 佃島の漁師町は、寛永年間に摂津佃村から移住した漁師が住んだのが始まりとも言われ、漁業権を与えられた佃島の漁師たちは、毎年十一月から翌年の三月まで白魚を取って、幕府に献上していたという。
 干潟で焚き火をしているのは、船底を焼いて付着物を取り除くためで、こうした場所を焚場と呼ぶ地域もあった。
 沖合に見えているのは帆を下ろした弁財船である。菱垣廻船や樽廻船として荷を満載してきたものの、運河に入っていけない大型船は、佃島や石川島に繋留され、小舟で荷揚げをした。
想像力をかきたてる釜座と羅漢寺 (江東区大島一丁目・三丁目付近)
 画面左手の民家の前に、黒い羽釜のようなものが描かれている。右手の羅漢寺では、不思議な構造の栄螺堂が見え、その奥の本殿の屋根には、何やら草が生えているように見える。
 これは、蕙斎の描くイメージと写実の世界で、民家の前の羽釜は、そこが鋳物工場である釜座であることを暗示しており、羅漢寺本殿の屋根の草は、評判になっていたコウノトリの巣を表現している。
昼夜が混在?両国橋と回向院 (墨田区両国一丁目~二丁目付近)
 両国橋は、明暦の大火の後に隅田川に架けられた橋で、その手前には、明暦の大火の犠牲者を供養するための回向院が見える。しかし、ここで主に描かれるのは、橋の上の群衆と川に浮かぶ屋形船である。
 青い日傘の女性からは、夏の昼間と思われるが、屋形船は夕涼みの景でもある。両国橋といえば花火。そうした連想を促しているのであろうか。
天秤棒が行き交う日本橋と魚河岸 (中央区日本橋一丁目~日本橋室町一丁目付近)
 江戸一目図屏風の中央に、日本橋が描かれている。正座をして屏風に向き合うと、ちょうど目線の位置になる。
 日本橋の上には、旅人や大名行列ではなく、天秤棒を担ぐ人の姿が多く見られ、東海道の起点としてよりも、江戸の商いの要として描かれる。日本橋の左岸では魚市場が賑わいを見せており、川岸では、小型の押し送り船から次々と商品が荷揚げされている。
供侍が主を待つ江戸城大手門前 (千代田区千代田大手門付近)
 江戸城内の大手門前の様子が、ありのままに描かれている。画面左角の畳蔵から細長く伸びるように「腰掛け」と呼ばれる建物があり、登城している大名の帰りを待っている共侍たちが、駕籠や荷物を下ろし、建物に槍を立てかけてくつろいでいる様子が見て取れる。
春爛漫の諏訪台 (荒川区西日暮里三丁目諏訪神社付近)
 高台にあって、のどかな「日暮しの里」を眺望できる諏訪台は、季節を問わない行楽の名所として広く知られていた。
 縁台に腰掛けて楽しむ人々の傍らでは、なにやら踊っているように見える二人がいたり、画面右端のがけっぷちでは、当時流行っていたという、かわらけ投げに興じる人の姿も見える。
雨の九段坂・飯田町中坂 (千代田区九段南一丁目・九段北一丁目付近)
 江戸一目図屏風の中で、唯一、雨模様に描かれているのが、九段坂から牛込門・神楽坂・護国寺にかけての一帯である。
 このあたりは美しい紅葉の季節であるが、画面坂道を往来する人々は、蛇の目傘や合羽とともに描かれ、紅葉を楽しむ風情ではないようだ。傘のデザインは勿論であるが、合羽にも用途に応じた色分けが施されている。