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紀州藩文庫より郷土誌料

郷土誌料 

      百姓一揆談 上中下 百姓一揆談 上中下[目録]


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<翻 刻>
 
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百姓一揆談
 
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    百姓一揆談序
夫善を行ふ者は善の報あり悪をなすものハかならす
あくの報ありと元和元歳より以来天下泰平ニして
四民各其業をたのしミ枕を泰山の安きにおゐて妻子
を撫育する事皆是天下国家太平五穀豊饒之徳に寄り
しる類に其国に安居して其国を乱世の徒何そ
天の責をまぬかれん爰に青樹堂主人秋の夜の長き
徒然なる儘水無月騒動見聞するを書記し是を袂(ママ「扶」)にして
大平庵の草扉を叩き即謂日〓(「僕」)か愚昧短才なるは
師の常に知る處若上々軽んする文もあらは筆を
 
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かへよと是を閲るに文師褒〓(「貶」)なく亦然〓煩苛き事なし百
歳の後に一つの奇談となり又児章ニ残して勧善微(ママ「懲」)悪
の助ともならんかしと故に百姓一奇談と檀号して
筆を案籠の窓下にとつて序する物しかなり
  文政六歳     一氣散人
   未 仲龝     大平楽
              主人
百姓一揆談上の巻
 一御領内魃之事
   附り紀ノ川筋渇水之事
 一宮郷惣一揆之事
 
 
   附り小倉組宮郷戦之事
 一亀池掛り一揆之事
   附り紀三井寺騒動之事
 一北嶋郷大騒之事
   附り御役人宇治川江御出張之事
 一中山邑騒動之事
   附り在々破脚之乱妨之事
 一粉川村大騒動并町々破脚之事
 
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百姓一揆談上の巻
 一御領内旱魃之事
   附り紀の川筋渇水之事
此は文政六歳癸未夘月より當國大旱りにて
上々様よりハ天に祈り地に誓ひ諸寺諸山に御祈祷
遊され農業家の民ハ天に仰地に俯して高野山
上の火振り御日待百度参りハさしなり山上の釼
雨の木を御出(イタ)し遊されても天一滴の雫もしるし
なく水田終に白畑となり廣野原の草ハ枯果
 
 
て寔に歎ても余り有旱りなり紀の川筋上は
小田川下藤崎ニて井関下ハ石を飛傳ひに渡
りても足のぬれさる事ハむかしゟ聞ぬ事なりと
老人達の申あゑり
 一宮郷惣一揆之事
   附リ小倉組宮郷打合之事
五月下旬宮郷六萬八千石下の惣百姓弐万人余り徒
黨を催し早鐘太鞁法帽を吹立惣百姓を集評儀
致けるは川上は小田井藤崎所々方々にてわかれ
 
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下は六ヶの湯小倉湯亦は分水関かれし故宮湯者
白川同前(ママ)なれハ先六ヶの湯を切落さぬ時者植付
ならすして宮郷の百姓皆々湯死いたすへし一生拂命
大事の所なれハ面々心を一致に堅メ六ヶの湯を切落
さん萬一妨致しなは竹鑓ニて田楽差に突殺し
若も叶ハぬ其時畔を枕に打死せん剛柔日
比に百信して鬨を作り大鞁半鐘法螺吹立雷
のことく鳴神村へどつと押寄庄屋市右衛門の家
財衣類俵物建具道具迄鳴神の裂たる
ことく引裂打砕勢ひ猛々面々氣儘に岩
 
 
瀬村庄屋清左衛門を物もいわせで散々に乱妨し
次第に汐のさすことく星屋村津右衛門を打砕
き道々荒にあれ廻り流星の走る勢ひニて難
なく六ヶ湯関へ取掛り面々鍬鋤追取ておめきさ
けんて廻ふ後し切落シ心地よしと鬨をあけ是
迄権威権勢ニ而水を流通にさせざりし小倉
組大垣内大庄屋西川喜右衛門こそ心憎し叩き砕
て仕廻はんと惣勢押寄散々打砕き小倉組の
百姓共是を見て大庄屋を砕かせて八組下之
者共後々迄腰抜なりと笑われんいさ大庄屋
 
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殿をすくわんと大勢揉ミもんて馳来る宮郷
方は味方の加勢と心ゆるして乱妨する内小倉組
敵間近クなるや否鬨をとつと作り立宮郷方の後
ゟ遠慮もなしに突立れは宮郷方ハ不意を打れ
て敗走すれハ小倉方ハ得たりやかしこし一人
も余すなと気ひ掛て無二無三に突立薙立追立
れハ西川も加勢の多勢に力を得て内よりも突出
シて勢ひ込んて打立れハまたゝたくまに廿四人
に手を負せ三人突留たりされとも宮郷方ハ眼に
余る大勢なれハ大返しに取て返し新手を入替へ小
 
 
倉方の横合よりましくらに打れハ小倉方ハ替ル
味方もあらさるゆへ労れ切て散々に逃帰る宮
郷方ハ大に怒り手向ひするこそ奇怪也猫子も残なと
怒り氣を含て惣勢か家財衣類俵物造具玄関
長屋柴部屋まて残さす乱妨仕尽して夜もほの/\
と明る比勝鬨揚て惣勢が在所/\へ引取しか恐し
かりける形勢也此一件若山より御役人御堅ニて静
謐にこそ治りけり廿七日日前宮御条(ママ「祭」)りニて若山より檀
尻ねりもの囃子立参詣群集夥しく御神楽あ
けて賑ひしに早鐘太鞁の音に驚き日の暮ぬ間に
 
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早々若山へこそ引込ける
 一龜池掛り一揆之事
   附り紀三井寺村周章の事
五月廿八日龜池掛り惣百姓も見内原岡田紀三井寺
惣勢弐千人余り一揆起して且来村庄屋七藏多田村
庄屋楠右衛門同村瓦屋孫三郎薬勝寺村庄屋与三郎の家
々を打砕金銀米銭衣類道造具を井戸へ投込水田へ打
込雪隠へ打込乱妨しに野田村庄屋重次郎も打砕んと
惣勢たん/\に押寄る十(ママ)次郎前々より暦々の御屋
しきへ御出入なれハ御屋敷より百人計り御加勢ニて
 
 
所々に鉄炮相構へ今やおそしと待ともしらす大鞁
法螺貝を吹立/\湯堤傳ひに押来るを□もよし
小横合ゟ待役たる鉄炮を筒先揃て打立れハ一横の惣
勢肝を消し打殺されて叶ハぬと湯の中へ飛込/\跡
見すまして逃たるハ心地よかりし形勢也此時紀三井寺
大庄屋楠右衛門惣勢を押過んと出張(ハリ)致されしか存の外
の大勢なれハ取鎮めもなり難く紀三井寺へ帰りし跡
且来多田本渡り薬勝寺之百姓大イニ怒り紀三井寺
役人出張なから乱妨狼藉いたし候事こそ無念也
此方も押寄て大庄屋をはじめ紀三井寺中片端より
 
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打砕んと惣勢をあつめ早鐘大鞁法螺貝吹て紀三井寺へ
こそハ押寄ると注進片男波の打ことく紀三井寺中ハ
上を下へと打返し早鐘□立惣勢集め無勢ニては砕
れん加勢頼めと毛見内原吉原廣原岡田三葛より
追々加勢集り数千人に及ひ竹鎗鳶口引提て本坊
ゟ紀三井寺中四方の口々手分ヶを定め遠見を出し
手足まとひの老人子供ハ塩澤冷水へと船ニて追けり今
や来るやと釣り上れハ四ヶ村之惣勢も紀三井寺に防
戦の用意要害堅固の由註進故うかつにも押寄
す太鞁鉦にて日を送り四日之間白眼合造用潰
 
 
れと見へにけり苻城より御役人大勢御出張遊ハ
され此騒動一件㕝なく治りしは両方の仕合と後に
て思ひしられける
六月上旬山東郷近在のの百姓徒黨起し宮郷龜池
懸り且来多田本渡り薬勝寺の者共我をまゝ子に
するこそ残念也此方ゟ押寄て庄屋歩頭を打砕
手並の程を見すへしと両三軒打砕既に大騒動
に及し所若山より御役人天野孫助殿御出張ニ而
事なし静謐にこそ治りけり
 
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  北嶌郷大騒動之事
    附り諸役人宇治川へ御出張之事
六月四日北嶋郷の百姓大勢集り宮郷ゟ切落し六ヶの
湯を関留ねハ北嶋の水田ハ白畑とならん六ヶの湯を関
留に行んとて面々俵を用意して大勢集りしハ如何
なる趣意か有けん庄屋散々に打砕大騒動に成りし
を梶取大庄屋南川長五郎庄屋両人内々御評定所
江訴へける右之内伊勢右衛門其外五六人召捕なば此騒動
事なく治らんと注進致せし故評定所ゟ過急に
廣瀬窂當(ママ「番」)頭亦五郎捕手ら者三十人余り北嶋江
 
 
馳付伊勢右衛門其外五六人召捕帰るを若者共是を見
付大イニ驚き早鐘を樟(ママ「撞」)立れハ北嶋郷の百姓共追々
馳付数千人になり捕手之者を追かけ矢庭に生
捕を奪返し捕手のもの共を竹鎗鳶口にて散々に
打倒し川の中へ叩き込打立薙立追立れハあたか
も濡鼠の走るるか如く頭をかゝへて逃去ル跡に又五郎
見付られてハ一大事と駕に打乗り身を隠して逃去
ルを大勢見付又五郎逃ルとて逃そうかと引摺り出シ鳶
口ニ而眼鼻ともわかす打倒せハ又五郎も一生懸命切
死せんと思へとも大勢の事なれハ半死半生の目に
 
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合ふて覚悟を究め居たりしか血氣の若者又五郎
を白眼付て巳亦五郎何ゆへ伊勢右衛門を召捕に
来りしや真直に白状いたすべし異儀ニ及て打
殺さんと大勢取り巻き誾れハ又五郎大に恐れ何そ
私一人の支配ニて召捕ニ来らんやこれハ梶取長五郎
殿内々御評定所へ訴へし故我等役義にて参りし也
何分命者御助と恐れ/\て言訳すれハ若者共不
便ニ思ひ又五郎壱人殺したとて益なしと舩に
打のせ追立れハ這々の姿ニて命から/\逃去り
けり此騒動追々手負の注進ゆへ廣瀬の穢多
 
 
共スハ一大事又五郎を打せてハ叶ふまし面々加勢
いたせよと得物/\引提て八百人計り宇治川
へ詰寄れハ御城下も大騒き立貸芝居ハ北嶋ゟ今
もこぶちに来る也と呼るゆへ見物之大勢上へを下
へと打返し表へ逃裏へ走り立役ハ女形の髪を着て
舞臺衣裳の其侭ニ而近所の寺へ逃廻りしハ周章
切たる形勢也斯大騒動ニなりし故御先手組の御役
人弓鉄炮ニ而宇治川へ出張して渡らハ打たんと
待懸たり北嶋方ハ舟を堤へ引揚て北嶋堤より
直川邊迄一面に狼烟をあけ大鞁半鐘法螺
 
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吹立白眼合にてそ夜を明す名も宇治川の河
波に響き渡りてすさましく佐々木梶原有ならハ
高名時としられたり明れハ五日御役人大勢出
張遊され御取鎮ニより北嶋方廣瀬方ハ相引ニ
次第/\ニ引取うち評定所へ内通いたし長五郎
こそ憎さも憎し叩き砕て仕廻んと惣勢梶取
へ押寄て長五郎宅へ無二無三に掛入て金銭米
銭珍寳家財衣服立具造具ニ至迄引裂引
破り打砕き明家のことく乱妨し少しハ腹いせ心
地よし此勢ニ木の本の大庄屋めも打砕き惣勢
 
 
木本忠蔵方ヘ押寄せて家財衣服俵物立具残
らす散々打砕勝鬨揚て引取しハ天魔鬼神
の勢也苻城ゟ御役人出張遊され静謐にこそ
治りけり右伊勢右衛門一件の砌ゟ北嶋を逐電
いたし泉州堺に隠れしを六月下旬召捕入
牢致し八月下旬六人同時ニ御仕置ニ相成し
ハ不便なりける次第也
   中山村騒動之事
      附り御役人粉川へ御出張之事
六月七日粉川村井出懸りの百姓六拾人計中山村
 
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祇園の森へ集り水を盗ミし治右衛門を糺明セんと
いろ/\評義有りしを中山村庄屋右六十人の
内ゟも両三人の扱ひにて少の過料ニて事済の様
子なりしか酒狂にや有けん五十人計森の中ゟ
中山村へとつと押寄無二無三に治右衛門の家財打くた
き祇園の森へ引とりしハらく英氣を養ひ大鞁
を打法螺を吹又中山へ押寄て庄屋忠次を始十三
軒計砕き得もよらぬ大騒動になりしを粉川村
役人出張して漸是を制して若山注進致し
けるか湯懸り御役人三十人計り急着致し
 
 
七日昼時両三人を召揚其夜若山へ引渡し入窂
致させ七月十三日何事なく御免ニて出窂致し
けるハ有難かりける次第也七日昼時御勘定同心
多勢ニて粉川を堅め昼ハ多勢にて町々を打廻り
夜を高焼燈突棟(ママ「棒」)の音しん/\といかにも厳重
ニ堅められしか八日ゟ川上名倉大野両村騒動
の由聞へしが九日川上ゟ急注進に依て御役
人大勢にて川上へ御出張こそ致しけり
  伊都郡惣一揆之事
   附り所々家破却の事
 
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然るに六月八日比名倉大野両村の百姓初ハ百人
はかり徒黨にて米屋酒屋両三軒を打砕き騒
動に成しか間もなく諸々方々〓(ママ「蜂」)起して大勢集り弐
千人余りになり一手ハ川むかへ江渡り入郷村専安十郎
を打砕学文路ニ而紋右衛門を打砕き一手ハ橋本へ押
登り又徒黨重り恐多も橋本御仕入方御役
所を打砕それゟ應野大庄屋田中助三郎方へ
押寄しに家財衣服ハ中道村ヘ預ケし故中道村
上田権之烝方へ押寄家財衣服引裂引破打
砕俵物蔵者焼捨けり是より上者大和境待乳
 
 
峠細川合ゟ紀三井峠橋本近在谷内はし谷
奥菖蒲嵯峨谷迄役人の家々不残
打砕橋本ニて土生屋四平畑平兵衛同甚兵衛
山家や弥右衛門東家へ色小重郎同直次郎堀江平右衛門
岸の上才右衛門野村萬蔵綿屋弁五郎同文右衛門文蔵
四郎八足袋屋太重郎河内重次郎其ほか
四五軒打砕在々所々を荒廻り惣勢数万人
押来との注進波の打如く追々名倉へ懸り
来れ者名倉中ハ上を下へと大騒キ祖父
婆々子供ハ泣さけひ北と南へうろたゑ
 
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廻り如何ハせんと周章ける村方ゟ大勢を駈集
村内へ乱入ては微磨(ママ「塵」)とならん東口へ立向ひ
兵糧ニて防なば上道へ通へしと家々の飯を
運ひて握飯を山の如く積上て今や来ると
行つ戻りつ遠見を出して虎の尾をふむ思ひ
して待たる処ニ伏原米屋傳兵衛名古曽辻
田傳兵衛米役吉原松岡を打砕止々名倉東口へ
ほの/\と押来れ者待役たる握飯惜しけも
なしに摑みけり村内へいらさしと心を配り程々
手立を尽しいゑとも数万人の事なれハ
 
 
途方に暮たる其折から心聞たる若者共四五人
汗たら/\にてかけ来り嵯峨谷川迄役人
大勢出張して鉄炮鑓ニて先勢を打殺突
殺死人の山を積上ケて血ハごん/\と流出嵯峨
谷川ハ紅葉を流したる如く早々かけ致されよと
息つきあへす呼ハりける徒黨の大勢夫討せてハ
乱騒キ加勢をせよと竹鑓鳶口取直し勢込んて
惣勢か嵯峨谷川へ逸敷に真一文字ニかけ行ハ
名倉村中といきをつき鰐の口を逃れし思ひ
かつくり草刈居たりけりさが谷川ヘ向ひし
 
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惣勢ニハ何事もなかりけるゆへ大に怒り扨ハ謀
計乗たるそ立戻りて名倉を微塵に打
砕と惣勢押戻り辻屋文次郎寄屋喜兵衛
山家屋久兵衛同藤兵衛酉飯ふり屋長兵衛宇野や
弥兵衛大野や泉屋庄右衛門の家々を打砕ケ嵯峨
谷川江来りし処在方役所頭取山東藤十郎殿
初数十人ニて出張被致れし故惣勢此所にて
しはし猶豫居りしか惣勢の内より大膽
不敵て荒者壱人名乗出て御役人江何角
御願申上し故御役人色々利解を申聞せ
 
 
とも数万人の口なれ者評儀まち/\にて悪口を誾り
狼藉すへう見へしゆへ是悲(ママ「非」)なく御役人も若山へこそ
帰られける徒黨の惣勢此川ニて村々を差出し村次
の半鐘は村々へ追立しニ不思議や此半鐘村々を
立横十文字に飛廻り名草郡へ其日に着シ六十谷村
より御評定所へ出しける惣勢大鞁半鐘法螺吹
立て中飯降りへ来りしに酒屋伊兵衛酒と兵糧を
出し惣勢を休めしに酒握飯を十分ニ食い腹へらしニ
打砕と伊兵衛方の家財衣類俵物建具酒蔵迄
散々に砕しハ恩を仇なる仕方ニ而無悲なりける
 
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有様也人形や忠兵衛森水屋平右衛門歩頭木下藤右衛門妙
寺村大孫一流丁之町森田久右衛門駒三郎角兵衛大薮
万屋藤兵衛大谷酒屋茂右衛門油屋惣兵衛冨貴屋左六
折村大越幸右衛門佐野村織屋宇兵衛油や常次郎
野上屋半次郎加勢田大庄屋田中元右衛門酒屋利兵衛
米役船山新吾長のや幸助中野屋又兵衛在々所々を
打砕穴伏迄下し處笠屋源七方ニ者昨日出張の
御役人大勢ニて相皆惣勢を喰留んと力味返りて
居りしか惣勢背の山庵先へ来るや否存の外の
猛勢なれハ大ニ驚き力味し腕も〓りへり廣
 
 
言も打忘れ若山へこそ帰りける此時四郷谷より
大勢馳来り徒黨の惣勢幾萬の数知す是迄ハ
ゑりこふちの躰なりしか穴伏ゟハ家の大小貧冨の分
ちなく数々こそ打砕く鳴海酒屋庄太茜右衛門
喜兵衛穴伏笠屋源七庄屋長四郎亀屋利右衛門
長野や利兵衛其外都合拾三軒余りそ砕けり
   一 粉川村大騒之事
      附り町々破却乱妨之事
六月七八日比ゟ川上騒動粉川評儀色々ニて只川
 
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上の大乱と空吹風と思ひしか十日早朝川上より押来り
注進故粉川も少しハ周章の心なりし折から穴伏迄
押来りし注進櫛の歯を引か如く名手ニ而米屋
彦十郎布屋新次郎同新兵衛山崎屋吉五郎
谷口屋又左衛門大嶋や弥兵衛大和屋三十郎萬や利兵衛
等の家々を砕き惣勢宮山へ打登り平山村ゟ
運送の兵糧ニ而英気を養名手村川迄来りし處
若山御役人矢野仁左衛門殿立向ひ也さま/\
利解を申聞とも一向に聞入手向ひすべう見へし
ゆへ粉川をさして引返す徒黨の勢鬨を
 
 
作り太鞁半鐘打鳴シ下丹生谷兼助高野辻庄や
半兵衛吉野屋次右衛門小間物屋藤右衛門を打砕き惣勢
押来注進鳥の飛如く雪散如くニて粉川中大騒
動となり家財衣類を持はこび老たるを扶け子供
をかゝへ岸本山秋葉山へ逃登り周章する事油の
にへることくニて目も當テられぬ乱勢也惣勢太鞁
半鐘法螺吹立打田長堤まて押来る注進鳥の飛
如くニて粉川中大騒動となり家財衣類を持
はこぶ老たるを扶け子供を抱岸の本山秋葉山へ
逃登り周章する事油のにへる如くニて目も
 
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あてられぬ有様也惣勢太鞁半鐘法螺吹立て打田
長堤迄押寄る先勢早前田小間物屋喜八竹や市郎兵衛
を打砕韋駄天走りに這ひ上て来るこまや
勝次郎ハ酒屋を兵糧を店先へ出し今来るやと
恐れツヽ待居たる所へ先勢五十人百人弐百人
緋縮緬の襷を掛ケ竹鑓鳶口打かたけ稲
麻竹葦雲霞の如く群りて店なか酒おけ
打返し是を手初として格子多戸障子打砕
珎寶家財衣類等迄引裂打砕酒蔵へ
込入て六尺桶の呑をぬき余程の酒を流し故
 
 
蔵中町中へ流出て大夕立の如くニて小口井の水も
増しけり軒並に段々うち砕上ハ王屋藤右衛門塩屋
次郎兵衛きせるや六郎右衛門作屋各蔵遠方屋惣七薬屋伊
兵衛名倉屋善兵衛駒屋常三郎方ハ兵粮揚所ニ成
たるゆへ何事なく逢れけり有本吉兵衛田辺屋新
四郎同利兵衛大足屋喜右衛門塩屋平吉正木や平兵衛
同彦右衛門米や平蔵古手屋重蔵渡辺や音八同安
兵衛樋口屋勘右衛門米や善四郎淡路や利兵衛
等を重モトして散々に打砕根来海道へ向ふ
一手ハ鳴尾屋へ押寄て家財立具玄関より
 
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座敷廻り書院床之間違棚学文所迄打砕
又酒蔵へ込入テ余多の酒を抜流し家々の井戸
中へ酒気の潜りの濁りきて四五十日の其間
呑る水もなかりけり粉川ニて六拾軒余り其外
手負家もなく粉川へ込入し惣勢本道筋
山手筋両所ゟ打込故幾万とも計難徒黨
ニて或者飯をくらい酒を呑或ハ衣類を奪店先
の物を奪とり乱妨狼藉筆紙ニて言語にも
のへ尽しかたし町中は破却の立具家財
衣類箪子長持俵物瓦等迄山のことくに積
 
 
重往来する地の明所もなし惣勢徒黨の内より
数十人大音ニて人足を出さぬ家ハ打砕焼捨ん
と呼ハる故焼れてハ叶ハぬと是悲もなく/\出て
行粉川村前々ゟ人気至る強勢なる所也しか
斯上心信して散々狼藉に合たるそと思惟する
に一味同心致しなば何事もある間敷と大ニ油断
したりしゆへ悪黨原傍若無人ニあふたるは
誠に残念也兼而防細等の用ニて致事なは
やわか防かて有づきやと皆々無念を含し茂
六かの菖蒲と笑ひけり徒黨の面々人足を
 
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駈立る故惣勢弥増に増り粉川ゟハ二手ニ分レ一手ハ
根来道江と打むかひ惣勢幾萬数しれす稲麻
竹葦と立再(ママ「並」)ひ錐を立る透もなく大鞁を打法
螺を吹半鐘を呼(ママ「鳴」)らし風呂釡又者銅たらいを
叩き其音遠近の山谷に響キ渡り乱世も
斯やあらんと前代未聞の形勢なりと歎かぬ
人こそなかりけり
○けふかいかなる悪日かそや未の年未の月
○未乃日未の刻にてありける
此夜ハ粉川町中ひつとしつまりいとしん/\と
 
 
物凄クそと吹風も恐し敷明日を社は待
   大門の柱に落首
   父母の惠にためた金銀を
   たのもしけなく
         砕たかるゝ身や
 
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百姓一揆談中の巻
    目録
 一 那賀郡惣一揆の事
    附り在々破却器財焼捨之事
 一 惣勢岩出ニ而屯の事
    附り御番所破却之事
 一 御役人馬鑓江御出張之事
    附り千田谷本坊打死之事
 一 地蔵の辻御備之事
    附り中の嶌周章之事
 
 
 一 土生廣右衛門殿言渡之事
    附り惣百姓引取之事
 一 粉川村弐度目騒動之事
    附り米安賣之事
 一 他國米入津御免之事
百姓一揆談中之巻
 一 那賀郡惣一揆之事
    附り在々器財焼捨破却之事
 
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  去程に鳥居坂より向ひし惣勢数百人太鞁半鐘法螺
  吹立て竹鎗鳶口立再(ママ「並」)ひ枯野へ薄に異らす大供(ママ「洪」)水
  のこぼるゝ如く松井村ハ粉川ゟ取付ゆへ家々残打砕き
  深田にて曽和半平嶋村彦太郎安兵衛同村茂右衛門
  弥五兵衛上田井村米役野口喜兵衛谷の常次郎紺屋
  兵蔵黒土村大和屋源兵衛油屋利兵衛阿波や次郎兵衛
  ヲ打砕き家財衣服俵物建具畳迄藤崎湯へ
  打込投込段々押下る井田村ゟハ高提燈ニて
  山王の森へ出向ひニて千田友右衛門の焚出しの兵
  粮酒を持運び惣勢を休めし故友右衛門方ハ
 
 
  何事なく惣勢此所へ段々集り提燈明枩星の如く所々
  ニ而狼藉をあけ貝鉦太鞁打立る音井田村中ニ米搗音と
  遠近へ響渡りさも物凄く聞へけり惣勢村々を追立る故
  次第ニ水の増如く上野村へ馳付て井畑千助亦市五郎右衛門
  打砕酒屋伊七を四方ゟ追取廻し家蔵を打砕金銀米
  銭家財衣類箪司(ママ「笥」)長持立具造物調箱迄散々にそ
  焼捨しハ眼も當られぬ形勢也尾崎村財木や友之丞
  の材木を山如く積重新兵衛の家財衣類造物建具
  投込/\狼烟をしたる明りにて畑の上村へと懸り来る
  宮福助三郎ハ元ゟ庄屋歩頭を勤めし身なれ者
 
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  此度の乱妨所詮のかれあるましと家財衣類我物
  なから隠すやら荒片付をしたりし処先勢段々に
  押来れ者建具道具ハ後日ニ出来ん身こそハ大事
  いさ立逃と家内引連逃にける間もあやうき處へ先
  勢惣勢懸入て座敷廻り書院床の間違棚立具
  造具を打砕蔵の戸を打砕既ニ内へと懸し處
  兼而信仰する金毘羅大権現の利生にや戸前砕し
  計ニて内を残して立さりしハ仕合也し事共也紺屋
  茂兵衛井坂村庄屋半三郎両家を打砕井坂大庄や
  稲垣圓三郎方の家財衣類酒蔵迄も打荒し焼捨ル
 
 
  森田良之助の家財衣類俵物立具造具迄散々に焼捨
  しハむさんなりける次第也粉川ゟ岩手迄中海道
  筋ハ山口迄山手筋者諸々方々峯々谷々野末迄
  一時の狼烟を揚しその形勢彼楠の上段日秋篠
  外山生駒山ハ聞たる計て知らぬ事と眼前に生し
  この乱は熱(ママ「勢」)ひ見せたなら楠初宇津も恐ぬ事ハ
  よもあらしと人々舌を震しけり根来海道より
  向ひ徒黨の惣勢数万人太鞁半鐘銅たらい
  を打叩き雲霞のことく天魔鬼神の意たる
  勢ひまし中山村も打砕毛綿屋佐兵衛彦五郎
 
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  文五郎圓蔵赤尾村四郎右衛門源吾木綿屋林蔵勢田村
  所々四日市酒屋与右衛門毛綿屋長九郎葛屋庄兵衛織や
  庄兵衛南中村向井定次郎七坂毛綿屋吉兵衛新村大庄屋
  黒山次左衛門三谷枩山方米役岩本坊の家財衣類俵物造具
  焼捨けり酒屋専右衛門ハ表側雨戸少々打破り家財衣類造具
  等紛失無酒蔵等も残りて仕合なりける次第なり毛綿
  屋清蔵(兵衛)方ハ昼の内より心得て荒片付をしたれとも
  惣勢間近に押来れハ是非なく皆々立退處へ惣勢
  込入無二無三家財ハ衣類建具酒桶等焼捨たり座
  敷廻り書院床の間違棚天井迄打砕酒蔵へ込入て
 
 
  大釜小割六尺桶の呑を抜き余程の酒を流せしゆへ
  数中へ溢れ出て青田も枯野の如く也末は小池に流
  入鯉鮒ざこどちやう迄酒気に酔ひ狂ひあしろの人々
  手取に取し事共也是より下も手大井村米役九右衛門
  の家財衣類俵物建具天井床坂(ママ「板」)畳長押箱棟
  瓦等迄悉ク散々に打砕き明家の如くしたりしハ
  扨も無悲の事共也坂本村ニて平野屋萬助若水や助六
  方の家財衣類俵物迄焼捨て狼烟にしたる其餘烟門
  長屋へ焼うつりしも立派に建再(ママ「並」)へて門長屋火ニ也
  今燃へあかれハ徒黨の大勢仰天し類焼有てハ
 
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  後日の罪と大勢寄て消したれと長屋ハ煙と失ニけり
  岩手組大庄屋水栖村藤田新五郎の家財衣類打砕
  俵物蔵ハ焼捨けり曽屋村桃井八九郎を打砕同村増
  田仁右衛門方鉄炮ニて防かんと王(ママ「玉」)薬を籠置兼而用意ハ仕たれ
  とも存の外の猛勢なれハ鉄炮放ス間もなく鑓を
  携立たる処へ徒黨の大勢込入て家財衣類立具造
  物焼捨て狼烟の其中へ打捨置たる鉄炮火の中
  へ投込は一声ぼん/\と鳴渡リソイマ鉄炮しや油断
  するなと飛退と継て音もあらされハ手向ひする
  とや思ひけん惣勢大イに怒り相手立こそ頬憎し
 
 
  と怒り氣を含て大勢か散々ニこそ打砕右増田仁右衛門
  の先祖者太閤秀吉公之御代五奉行の壱人増田右衛門
  尉長盛の末孫とかや今屋村米役二階堂権七山
  口西村大庄屋児嶋与大夫永穂村山崎屋武兵衛同村
  庄屋歩頭兼帯萬右衛門宮郷一揆の乱妨者所詮逢れ
  ハ有ましと家財衣類俵物建具等待運ひ用意
  十分にしたりしに何事なかりしゆへ此度の乱
  妨ハ組違いの事なる故に何事もあるましと平気に
  成て居りし処へ徒黨の大勢ゑいや聲ニて寄手のハ
  不意を打れて仰天し家財衣類も打捨て立退
 
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  者大勢込入/\小間物/\并金銀米銭家財衣類
  建具造物畳迄引裂引砕焼捨て明家の如く荒
  せしハ無悲といふもおろか也西村児嶋を大破して
  永穂村へ下る道筋上野村歓(ママ「観」)音寺前ニて昼休ミ杯
  仕夫ゟ宇田もり村新蔵方へ込入穀物なとの店を打砕
  勝手へ入る鍋釜諸道具家具夜具をかたへなる小川へ
  打込踏付踏沈め散々ニこそあはれけり永穂村ゟ
  ハ酒飯を夥しく三四ケ所へ立れいたし若者五六人程
  つゝ給仕付置本家ハ勿論當リ開帳の茶屋の如く厚ク
  賄しゆへ家蔵諸道具等何事なく済行しは
 
 
  賄有とりと見へにけり惣勢酒食を致し其所等を
  打砕打破り或者焼捨乱妨心の儘に荒廻り川
  堤傳ひ岩出の方へ上ルもあり田井の瀬を渡るも有
  銘々気随/\に押下る本海道筋の一手者井坂
  を馳出て燈灯松明狼烟の明りにて岡田村は
  白昼のことくゑゐ/\聲ニて一勢/\岩手の方へ
  押下る勢ひ□々雷々として四方八方動揺せり
  此度徒黨人数駈立尤は上ハ大和境待乳峠より紀
  井見崎橋本邊谷内又嵯峨谷奥菖蒲谷北山手
  ハ泉州境四郷谷奥より神迎畑山口直川邊谷奥
 
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  寺領の内さして彼大平記に天狗越後勢を集し
  も此度程ニは有ましきと人々不思儀にこそ思ひけり
 
      惣勢岩出にて屯の事
        附り御役人出張大筒之事
  本海道筋中海道筋山手筋三道の惣勢凡十三四萬
  人稲麻竹葦計雲霞のことく岩手村ニて屯を構
  ヘ一手/\一組/\物印を立て燈灯明松星の如く渡り
  所々にてハ狼烟を揚大鞁半鐘法螺貝吹立川原一
  面の人ならぬ所もなし大家小家の嫌ひなく打砕
 
 
  打破り中にも萬屋善助の家財衣類荒物小間物紙
  類毛綿品に迄不残焼捨にする時に塩消(ママ「硝」)に火写
  りて一聲とふと鳴渡れハ鉄炮とや思ひけん何者か
  言出スとなくいりやコい大筒打たるそ逃ケよ/\と呼ハれ
  ハ先勢ハ大鞁鉦ニて耳ニも入らす残りし總勢耳に
  はいりて惣身にこたへ今も燻り死るかと皆我一
  と田の中へこけ込たり溝の中へ飛込たり雪隠へ
  まくれ込屛を摑て逃るやら周章鞅掌うろたへ
  迫る形勢ハ可笑かりける次第也此時御役人御出張被
  遊色々申聞せとも是悲の分ちも聞いれす追返
 
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  シぼつかへし鬨をどつと揚る内夜も天明/\と明渡
  れハ先勢の内何国之者かしらされと其一文字に川
  をさつと打渡レハつゝけや續と御口前役所を無
  二無三暫時に破却したりしハ天魔の所為かと思
  われて其行末そ怖き
   よしあしを岩出役所を打砕き
    あきれてしハし明ぬ口前
  明れハ上ハ早天より徒黨の惣熱(ママ「勢」)思ひ/\川を渡
  折から貴志谷一揆其勢凡三千計り八田越に打
  て下り惣勢は一手ニ成り在々所々家の大小貧福
 
 
  分ちなく打砕満屋村迄来りし処下條伊兵衛殿
  立石千五郎殿稲葉三蔵殿何れも馬上ニ而同勢
  三百人御出張被遊大勢の一揆を扇を持て靡け
  ハ一揆の大勢馬前につぐはい近ケ其時仰せられけるハ
  其方共農業の儀に付御願申度儀も有ハ我等請
  合願筋相叶候様可致間此所ゟ引取申べしと
  利解申聞せ共愚知文盲の百姓なれハ馬の耳
  に風の如く少しも耳にハ入す剰悪口を誾り竹
  鎗を取直し既に狼藉すべく一手ハ川北堤より
  押下り一手者川南ゟ押り仕第ニ徒黨増長して
 
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  出見けれハ虫に等しき百姓原打手に取おとなけ
  なしと御役人衆者御仁心ニ而引取けるを迯ると
  心得百姓原弥勢ひ盛んにて大鞁半鐘胴(ママ「銅」)だらい
  をたゝきいろ/\鳴物吹物打立/\吹立/\満屋村伴
  右衛門義右衛門民部茂平次平右衛門与を打砕宮郷一揆此時
  と二度の壊に合たるハ無悲なりける次第也馬鑓は
  家々打砕八軒屋ゟ段々松嶋村へ押来り藤五郎
  源次大夫を破却の時いかなる馬鹿者や大鞁三味線
  鼓を打五文人形引す出シ囃子立て打砕者余
  りと言も不便也爰に志野村根来同心子田吉本坊
 
 
  同藤宝坊川原村岸本坊冨松槙本坊岩本坊以上四
  五人之根来同心若山より御堅め御用御召ニ付岩手
  へさして下りし処彼一揆の大勢是を見付鉄炮持ち
  ては役人也余スナ洩スナ打殺せと大勢ニて追掛
  者コハ叶わしと鉄炮打捨北と南へ引別れ散々に
  延ひしが吉水坊ハ取巻れ是悲なく爰に踏留り多勢の
  中へ割て入り緋(ママ「縦」)横無尽と働と相手ハ多勢此方者一人
  継味方もあらされハ透有ル方を見済して抜め盛
  逃走り三毛山へ打登り此歳十七歳にて逃る空も
  立たされハ爰ニて腹かき切て死たる也希なんニも
 
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  又いちらしき岩手より侍屋馬継八軒家枩嶋加納
  有本三軒家段々に打砕人ならぬ所もなし群る一揆
  数万人大鞁半鐘法螺吹立次第/\に押来る先勢
  ハはや地蔵の辻迄押来り山門を崩る勢ニて鬨を動
  とそあけたりけり馬鎗より御役人御引取遊ハさせ
  られ候故御城下の周章大方ならす中の嶋町家ハ
  家財衣類を持運ひ老若男女西江東へ胡乱絶へ
  迫り大騒動になりし處御大国の御事ならハ百姓原
  の一揆に少しも騒き玉わす静に備へを繰り出し
  玉ふ
 
 
    鳶口持棒持     弐百人
    御鉄炮方      数百人
  大筒は八幡堤三ケ所へ備へ百目筒五十挺余り小筒
  之数はしれす中の嶋口迄連々備へ置スハト相図
  に打放す御備へとは見へにけり
     御出張之御役人衆
  御町奉行
     土生廣右衛門殿    四百石
  御勘定奉行
     金沢弥右衛門殿     六百石
  御目付衆
     堀田勘平殿       三百石
  大手欠作口
 
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  大御番頭付
  村田次郎九郎殿         七百石
  渋谷儀兵衛殿         千三百石
  小十人頭
  水野九左衛門殿         弐百石
  角谷六郎兵衛殿         三百石
  御先手物頭
  田尾市郎左衛門殿        三百石
  栗生勘右衛門殿         三百石
  御目付衆
  高井善助殿           三百石
  松尾十郎左衛門殿
   中ノ嶌口
  成田弥三右衛門        千四百石
 
 
   田中口
  大御番頭
  長野権右衛門殿        千石
  佐野伊左衛門殿        弐千石
 
  右之御役人何も馬上ニて御装束御行粧ひ美々
  敷惣勢数千人鎗長刀の鞘をはつし青天ニ暉き
  ハたり奇羅星の如く掛作り御門江数百抱の竹車を
  構へ重役衆次第/\に列を備へ京橋御門迄ひつしと
  詰たる勢ひ威儀厳重に見へたりけり御城下
  の四方八方海陸とも厳重ニ御備へ遊され寄来ル
 
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  多勢を待掛けれハ何ニもしらぬ大膽不敵の百姓原ゑ
  い/\声ニて押来るを土生廣右衛門殿馬乗り出し
  同心に堀三蔵三間柄の大身の鎗りう/\と打振り寄来
  大勢を四方へさつとおつひらき寄らハ突んと構へし
  勢ひ威儀勧然とあたりを拂ふてミへけれ者百姓共
  ハ拘りはいもう笠抜捨て大地へはつと蹲踞る其時
  土生廣右衛門殿雲霞のことき百姓原に打向ひ其方共
  恐多も御法度を相背き徒黨を企剰御城近
  推来事言語同断不届至極也岩手ニて喰留
  飛道具を以塵にするハ安けれど
 
 
  御上様ニ者只親に子の甘辛恨に思召れ御仁心御
  慈悲を以只今ハ免也其方共願之通追而致遣ス
  へし間早々引取れやつと大音に呼ハれハ数万の
  百姓頭に大雷の落かかることく御備への厳重成ニ
  鑓長刀の目に映してかう/\たるに気も魂も
  奪ハれて一言一句も出ハこそ大地へハツト平伏し
  て有難涙を流し皆々御代萬歳うたいつ
  /\悦ひ旁在所/\江引取しハ目出度かりける次第也
  右之節何者かしたりけん地蔵の柱に
   六道をみちひく地蔵の辻なれと
 
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    しゆうのちまたに迷ふ大勢
   可笑かりける落首也
  十一日は粉川中大供(ママ「洪」)水大風の跡のことく狐
  狸に化されたる如く愚なることくうつとりと昨日の
  動氣しつまらす酒を呑に酒ハなく破却の家ハ
  明家も同前只々恐レ脚ク日も暮方に成りしか何者
  か又言出しけん下手の在々より粉川を砕かんと
  北長田迄押寄たり面々用意有て可然しと諸々
  方々ニて言廻し候故亦大騒動となり今も来るや
  と方々へ遠見を出し秋葉山に火の見へし故
 
 
  人々すハやと驚き恐れしか何事もなく夜ハほの/\と
  あけにけり
  明れは十二日夕暮方井田村山王の森へ盗人隠れ
  しをはや鐘ニて村中を集め盗人を追拂し鐘の
  響きニ打驚キ又家壊ちが来る也と上野西天井
  四日市三谷豊田北南中村神領新村枇杷谷登尾
  東西山田重り行勢田に皆早鐘を撞き或ハ鉄炮
  打ならしそこよ爰よと止廻し夜な/\三四夜
  サも村々入口番を付厳敷夜廻り抔いたし大方
  ならぬ騒き也黒土上田井騒立泊り鐘こん/\
 
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  と撞立れハ別所嶋村松井より段々送りニ騒立粉
  川中も又上を下へと大騒キ十日ニ者凝て在氣も
  魂もちうを飛ひ家財衣類を隠すやら我家
  を捨て逃けるか村方ゟ多勢を駈立鳥居の
  坂ニて防んと面々竹鑓鳶口突棟(ママ「棒」)刺投止取て
  鳥居の坂へ駈出し腕をさすり臂を張かね
  来しよかしと片〓(「唾」)を呑んて手再(ママ「並」)の程を見
  せんとて手分を定め待居る勢ひ十日の昼
  まへ此勢有ならハと思ハぬ人こそなかりけり
  斯る所へ廻拂し早鐘也と注進ゆへ力味し腕
 
 
  も拍子抜ケ先めてたいと人々者我家/\に帰けり
  此騒動段々送りに北山筋本海道筋南領とも
  大和境迄騒登り皆々肝をはひやしけり
  十一日昼時ゟ他国米入津御免之御触廻り
  同夕より粉川中之米屋ニ者施行心ニて米
  壱升を三拾六文ニ賣処十四日御代官御越之節
  御差留被遊静謐ニて被成けり
  百姓一奇談下の巻
      目録
 
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  一 御代官御入込之事
    附り所ニて生捕之事
  一 諸役人多勢御出張之事
    附り在々にて生捕之事
  一 田中八郎殿御入込之事
    附り粉川静謐之事
  一 徒黨人御仕置之事
    附り梟首名所之事
  一 有田郡一揆之事
    附り諸役人御出張之事
 
 
  一 御代官萬歳之事
    附り夢物語之事
  百姓一奇談下の巻
  一 御代官御出張之事
    附り所々生捕之事
 
  然るに百姓一揆騒動の一件事なく静謐に
  治りしに百姓原只出所のミニて徒黨の催しなら
  は在々所を破却して金銀財宝を掠め取事
  有間敷に何さま盗賊入込ニて斯騒動に及
 
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  しならんと厳敷御詮議にて六月十四日伊都郡
  御代官御出張遊され在々所々を御堅め
  御鉄炮御勘定同心并駒木根御門弟五拾人計
  伊都郡御代官
    寺田勇吉郎殿     馬上
       同勢百人計
  粉川村    役人大勢
   大筒三丁   但し壱挺六人持也
   百目筒弐百目三百目筒持参
             廣瀬穢多持参
 
 
  右御代官粉川御泊りにて在々所々を打廻り粉川
  より名倉迄の間ニて七人計り召捕十六日若府へ
  御帰り十七日ハ諸役人千人計ニて御出張御作事方
  者丸に作ノ字の鬱金色の袖なし羽織也鳶口
  持二百人
     御鉄炮寄合同心   数十人
     御作事奉行
      三宅久蔵殿     馬上
     棟(ママ「棒」)持黒羽織     百人計
     御鉄炮寄合同心   数十人
 
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     御普請奉行
      青木六兵衛殿    馬上
     御鎗方一番ゟ 三番手迄  数十人
      外山五大夫殿
      渡邊大膳殿     番手御預り
     御鉄炮御先手同心  数十人
      山本九兵衛殿    馬上
     御鉄炮御先手同心  数十人
 
 
  御先手物頭
     藪 内匠殿      馬上
  伊都郡御代官
     寺田勇吉郎殿
  那賀郡御代官
     川口吉郎右衛門殿
  在方役所頭取
     山東藤十郎殿
  熊野御代官筋
     土岐主税殿
 
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  在方役所頭取
    喜多村才兵衛殿
  御鉄炮方
    宇治田弥右衛門殿
    勝野
  其外玉持  皮覆金 ○印有
   小荷駄拾数しれす人足大勢有し五駄但し
   五小足捕手組    廣瀬穢多 大勢
 
 
  右之惣勢粉川御泊り故寺院町家御差宿四日の
  間御滞留時々刻々粉川を打廻り夜ハ高提灯軒
  再(ママ「並」)に立其賑ひ大方ならす捕手組の者在々所々を
  打廻り生捕数十人廿一日橋本へ御登り廿二日粉
  川泊り廿三日昼田中八郎殿御入込見飛越の字
  鬱金色袖無し羽織
    鳶口持         大勢
    御鉄炮         大勢
    御馬印
    御鎗持         大勢
 
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  御仕入方頭取
    田中八郎殿       馬上
  右至美々敷御行粧ひにて御入込惣勢弐百人
  余り駒や常三郎方ニて御支度遊され八ツ時御出
  馬惣御役人多勢ニて粉川を在々所々を厳重
  ニ御堅遊ハされし故少しハ動氣治りて面々業
  を樂けり
  在々所々ニて生捕の者数十人入窂之後罪の
  軽重ニ仍而御仕置ニ相成し荒増をしるす
  七月九日八軒屋ニて御仕置
 
 
  那賀郡山崎組   山村佐助  五十壱歳
    其方儀徒黨ニ加り所々打砕右場所ニ而色品盗取候
    始末不届至極ニ付家財欠所之上死罪申付者也
  名草郡山口組西大井村長右衛門忰楠右衛門 廿六歳
    其方儀徒黨ニ加り八軒屋ゟ有本村所々家々打
    砕剰右場所ニて色品を盗取候始末不届至極
    ニ付家財欠所之上死罪申付者也
  元ハ海士郡加太浦長兵衛忰長蔵   廿八才
    其方儀村方出奔致し非人ニ相成り同類共申合
    所ニて色品盗取剰去十一日夜徒黨ニ加り伊都
 
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    郡加勢田村ニて人家を打砕色品数多盗取候始末
    重々不届至極ニ付死罪申付者也
  伊都郡佐野村  新助      三十七才
    其方儀徒黨ニ加り所々家々を打砕右場所ニて
    色品盗取候始末重々不届至極に付家財欠
    上之上死罪申付者也
  藝州出産當時伊都郡はら谷村ニて仮住居
            勇次郎   三十才
    其方儀徒黨ニ加り橋本町御仕入方役所を初名古曽村
    迄家々打砕候段不届至極ニ付死罪之上梟首申付者也
 
 
  上那賀郡名手市場村  次郎吉  三十八才
    其方儀徒黨ニ加り岩出番所を初村々家々打
    砕其上色品盗取候段不届至極ニ付家財欠
    所之上死罪梟首申付者也
  那賀郡岩手惣吉忰  金助  三十才
    其方義徒黨ニ加り岩手番所を初村々打砕
    剰右場所ニて色品盗取候始末重々不届
    至極ニ付死罪梟首申付る者也
  上那賀郡西野村   弥三郎   二十八歳
    其方儀徒黨ニ加り鉄炮を持岩手番所を初
 
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    村々家々打砕其上右場所ニて盗致候段
    不届至極ニ付断罪梟首申付者也
  伊都郡名倉組   仙蔵  三十一才
  同        利兵衛  三十四才
    其方儀同村申合西福寺門前ニて寄合同村
    米やを打砕止々人数集り橋本村御仕入方
    役所を打砕岩出番所をも打砕其上御
    城下近迄所々家々頭取打砕候始末重々
    不届至極ニ付断罪梟首申付る者也
  七月廿八日八軒屋ニて御仕置   嘉吉
 
 
  那賀郡池田組古和田皮田     吉兵衛
  同田中組黒土村         粂蔵
  上那賀郡粉川村無宿當時池田組東三谷村源四郎
  下人               数太郎
     右数太郎の狂歌に
    料(ママ「科」)の数かす重りし数太郎
     いのちの数ハなきそかなしき
  伊都郡佐野村皮田         源右衛門
  日高郡江川組北佐村利七忰当時者那賀郡
  池田組東三谷村重助下人      藤兵衛
 
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  八月下旬八軒屋ニて御仕置
      北嶌伊勢右衛門    其外五人
      和田久右衛門
      同 泥亀と申もの
      神崎こもそう
      有田箕嶋         弐人
      同酒ケ原         弐人
      筋違穢多         壱人
      宮郷ニて         弐人
       以上十六人
 
 
  十月廿七日八軒家ニて御仕置
  伊都郡名倉村     惣助    四十六才
  右獄門札ハ前文と大躰同しき故略ス
  右之通罪の重き者ハ死罪梟首又軽き者ハ
  御城下拂或ハ十里外廿里外 御慈悲を以
  御止放仰付られ見聞通勧善懲悪の為記ス
  慎むべし恐々/\/\
  一 有田郡一揆之事
    附り諸役人御出張之事
  六月十八日十九日有田郡小豆嶋百姓五人計り
 
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  徒黨を催しけるか昼の間ハ何事もなく面々
  農業を稼き暮方ゟ徒黨集り太鞁半鐘
  法螺吹立打立竹鎗鳶口鋤鍬熊手追取して
  小豆嶋に名高き善大夫の家を取巻門長屋ゟ
  初玄関より奥座鋪蔵ニ不残打砕ける
  惜いかな此家の座鋪ハ近年之普請奥座敷
  ハ不残唐舟ニて急々調ひべき物ニあらば
  其珍寶器財金銀米銭用捨なく井川
  水向へ投込突込引裂キ引割引破り
  けるハ目も當テられぬ次第也十九日夕方ゟ
 
 
  誰言ふとなく貝鉦太鞁打鳴らし早〓(「鐘」)〓(「撞」)立れ
  は何地ともなく一揆起し鯨波を作り押来ると見
  へしが北湊赤松久次郎と言舟もち大家を壊ち諸色
  の道具俵物衣類等迄も散々に微磨(ママ「塵」)となし継て清兵衛
  由兵へ野村大庄屋江川庄兵衛其外三軒しんと村箕
  嶋兼帯の庄屋喜右衛門等の家々打砕家具道具衣
  裳金銀米銭俵物器財ニ至迄悉く散々に引裂
  打砕き大騒動ニ及ハ御城下へ右之趣通達有て則
  苻城より鎮の捕手人の御役人黨勢厳重ニ備
  を立武器を携へ上下千人余り御出張有て
 
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  治る迄彼地に御滞留有て徒黨の悪賊を召捕為
  諸役人中別し追々立出先手の筋ハ陸かぶら
  坂ゟ押寄跡手の筋和歌の浦より乗船しはじか
  ミ村辺に着船し海陸上下ゟ有田へ入込日暮て
  騒動の最中なるよし追々注進有けるゆへ海陸
  の役人申合セ五十人百人つゝ立別レ小湊三軒家
  野箕村しんと村出口/\を寄巻其家の乱妨眺
  扣居夜の明を遅しと待兼居る処夜もほの/\
  明方に引取趣見へけれハ八方ゟ鉄炮数百挺
  雨露のことく打放し逃る者の足をねらい打倒
 
 
  御上意成るそと厳しく訇り片はしゟ召捕ける
  暫時に縄付弐千人に及ひ濱手の方ニ者舟ニて逃
  さんとする者あれハ其船まてと呼懸るを無二無三
  にこき出ス追々海陸追かけ向ふ二分口江御番所ゟ
  も鉄炮打放し前後左右より引包手向ひ致さハ
  打殺さんと舟へ鉄炮打掛ケ何ンの苦もなく召捕け
  る此者共頭取之内とやゝ聞今壱人頭取あれとも
  元若山さる御屋鋪の次男若山放たる人ニて年久
  敷此所居て釼術筆道指南を業としけるか常々
  募悪人也と言此度彼是する内小船ニ壱人打乗て
 
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  何地ヘ行けるや跡ハ今ニしれす役人取ニて段々調
  べ三十六人入窂と相成り穏に治りけり
 一揆徒黨の大乱いかなる事と人々手に汗〓(ママ「握」)り心戦々
  競々とふかき渕に望薄き水(ママ「氷」)をふむ思ひなりしに
  御上の御威光ニて軒静し謐に治りしハ実に有
  難き事ともやとこほす涕にほつちりと眼を開
  けハ東窓に旭かゝやき雀ハ忠々烏ハ孝行すゝ
  むる声々ハア扨は夢であつたか
   百姓一奇談  大尾
 
 
  此書ハ他の人に見するにあらす只吾
  身の覚ニ記して子孫の為平ニ残し
  悪をこらしめの書なれは文の混雑
  或は誤字闕字数々あらん数多見る
  人是をゆるし給へかしと尓言ふ