五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第四章 翻刻

宝暦乙亥夏六月、南紀太守の御城下和歌山の
湊にして塩の征十之二を可被征之儀有厳命
庶民或は服し、或は不服、公命之厳重これを
如何ともすへき事なし、于茲和州宇智郡
五条・須恵・新町三箇邑は往古より塩の買鬻
他に異にして運送の便利他邦の比類すへきに
あらす、是におゐて三邑相議して曰、若此事置而
不挙則当所の規格を失ひ、且は後世の痛
患也、此時五条・須恵二邑は
藤堂和泉太守の御預地にして御役所は和州
添上郡古市の里にあり、新町邑は
織田丹後太守の御預所にして御役所は同国式
上郡芝邑にあり、此両官署江達して御添簡を
頂戴し、別に訴書壱通を認め、川﨑氏・中氏・
保田氏・中野氏・堤氏都而五人志を一にして
同年冬十月初旬、芳川に艤して南紀和歌山に
赴き、太守の庁前に至り、右御添簡訴書を
奉呈して旅館に寄寓して公命の到を俟
暫くありて執事の日継て可有命とて御暇
を給る、是におゐて帰国す、翌年丙子五月復
御添簡を拝請して再ひ南紀の公廷に至り
数旬を経て許命を忝し、終に期望を遂
南紀を辞して皆欣々然として帰る、是皆
両官署御仁政の及ふ所、且は諸氏の邪寒暑
雨を不厭、山河を跋渉して労苦を不省、当地
規格の滅ん事を痛み後毘の為に慮るの
忠誠にして敢一毫の私心あるにあらす、於是粗
始末を記し、各壱通を家に遣し、後来孫子
可勤の事あらは、不可後の意を示す而巳
 
 
 于時
   宝暦丙子夏六月    堤定賢 (印)
 
       中 義将雅丈