五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第四章 翻刻

  大和国宇知郡五条・須恵・新町
  三箇村与紀伊国伊都郡橋本町
  荷物付送出入裁許之事
 
五条・須恵・新町三ヶ村訴趣、古来者
紀州和歌山迄諸荷物川船而通用
いたし稼候処、橋本町におゐて
新規継船いたし候付、当村者寛永
中伝馬宿相定、中村道筋掘切
番人付置中村ヨリ上江橋本牛馬通路
無之筈極り候、然処近年橋本町より
抜道を拵、売買荷物所々江令通
路、殊送り方新法企候故三箇村及衰
微、伝馬役相続難成候、元禄年中
五条村と加名生谷村々法師ヶ坂新道之
出入致之、御代官辻弥五左衛門裁許
有之、其書付中村通り往来不可
致訳籠り候由申之、橋本町答候者前々ヨリ
和州坂部・野原両郷并加名生谷辺江
米穀肥塩等当町より中村通り牛馬
致通路来り候、則付送之帳面数多
令所持候、歩行荷者五条をも打越令
通路候、惣而伝馬宿之間者、相互在々江
之商荷物勝手次第牛馬を以付送
候を、相手方ヨリ新規妨候、且法師ヶ坂
道出入裁許者此度初而承之、殊彼
節者法師ヶ坂道を論し中村通之儀
無之并坂部・野原之儀裁許書
相見段申之、右諍論遂糾明処、元禄
年中出入之刻近辺村々迄及吟味
五条三ヶ村者相定ル馬継候条如先規
本道筋諸荷物致往来、脇道より
荷付馬一切通路仕間敷旨、弥五左衛門
裁断致之候、然上者縦裁許書名前
無之といふとも中村通り茂脇道候得者、
通路不可致筈候、右書面橋本之者
加名生谷江参候者五条江可相廻由
可申聞趣書戴有之、况其出入之旨承り
橋本より南都奉行并御代官江願出候儀を
今更曽而不存と申段難立、橋本之者
却而不届候、但往還之荷物而者無之
商売物村々江付遣由、橋本申立候得共
此道通路たるおゐてハ加名生谷村々
荷物抜通候事歴然而、先達而法師ヶ
坂道差留候詮者無之、三箇村可及退転
事必定候、依之今般詮議之上前々之
通中村ヨリ上江橋本牛馬中村通堅ク
往還仕間敷候、雖然五条三箇村者共茂
橋本并両郷ヨリ数年令往来所其侭
打捨置油断之至候、乍然元来弥五左衛門
裁許往来禁之道筋候条、五条ヨリ
中村番所建置橋本并坂部・野原両郷迄
往来之荷物令通路おゐてハ、荷物壱駄
只今迄五条之宿而取来 問屋口銭之
員数一倍三箇村江差出シ通るへし、歩行
荷たりといふとも壱駄之割合を以口銭
可取之、次橋本町而寄牛馬ヨリ新規
場銭取候故荷物相滞由五条申之、
橋本者前々ヨリ取来由雖申、双方無証拠候
乍去場銭之儀上越と同事候条、向後
両宿共寄牛馬ヨリ壱駄付鳥目五銭宛
可取之、勿論橋本ヨリ荷物無遅滞急度
可附送旨裁断之畢、仍為後証各加
印判双方江書下授之間、永不可
違犯者也
            御用方無加印
  享保九年甲辰二月廿五日   稲下野
                久大和 (印)
            御用方無加印
                筧播磨
                駒肥後 (印)
                諏美濃 (印)
                大越前 (印)
                土伊豫 (印)
                松相模 (印)
                牧因幡 (印)
                黒豊前 (印)