五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第八節 その他

第五項 書状

 中家が庄屋、掛屋、用達などの役職を歴任した関係上、庄屋、郷宿、飛脚問屋、郡惣代、代官所役人らを差出人とする書状や廻章が残っている。用達に関わっての「御本陣様炭」「増田様御用油」の費用に関する文書も残る。〔箱4-30〕の茶売屋元右衛門は代官所の御用飛脚を務める御所町の飛脚問屋である。公事出入に関わる書状も含まれる。〔箱3-360〕は、宇智郡惣代の一人表野村儀右衛門から五條村庄屋源兵衛への書状であるが、内容は「夫食一件書付代銀・御見分御役人様御休泊之造用余荷」を「当郡惣代共立会割賦」した五條村への請求書である。〔箱3-361〕は、新町村庄屋から五條村庄屋源兵衛へ宛て、五條村松屋久右衛門が「米銭代」を滞らせたままなので新町村住民大沢屋藤助と訴訟にならざるを得ないとの断り状である。午六月二三日付の書状は、前後にある文書から弘化三年(一八四六)か。
 〔箱4-28〕の差出人北幾太郎は、領主船越氏の在地代官であり、森田節斎と親交厚かった御山村の北厚治の息男であろう。書中の文言にある「宇智御陵」は井上内親王の宇智陵(五條市御山町)を指していると思われる。〔箱1-27〕の「御用向諸控並綴込共」には、「船越柳之助殿知行所宇智郡御山村幾太郎」の人物像について、明治二年(一八六九)一二月一〇日付で書かれた中源兵衛・柏田久兵衛郡中御用掛から役所への報告文書が転載されているので紹介しておく。「持高凡六拾石余并山林等も数拾ヶ所所持仕、右山林代当時直段凡六、七千両位も御座候趣、同人義親厚治両人平生学問を好、家内十一人暮、随分隣村之気受も宜敷、少々奇特筋も御座候哉ニ承候相應之ものニ御座候」。その他、陣屋再建場所や農兵調練に関する書状、元手附と考えられる専右衛門の書状などは別述。