五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第七節 御用留から窺える地域社会

 大風雨による災害が記載されている。吉野川やそれ以外の川の満水・洪水による損害や被害の一端が記録されている。しかし、公的な機関である代官所の触書の収録を主とする御用留の特質上、吉野産の流木や稲作・綿作の水損・潰れ家の被害調査の指示という側面からの記載が中心で、調査した結果の具体的な田畑・家屋の被害・人的罹災の様子は不明である。新町村では天保一三年(一八四二)の「度々の出水」によって「御普請所」が「大破」したため、翌年に公費の援助を受けて普請を完成させている。また、弘化四年(一八四七)にも前年の七月の「稀成洪水」によって大破したことから、「吉野川通字寿命川尻長二〇間」を修復している(柏田家文書)。しかし、五條村の御用留には、これと関連した大雨や洪水の記録はない。田畑の作柄被害調査指示の場合、時期的に台風による八月頃の被害らしく、稲作と綿作が対になって罹災調査対象になっている。嘉永元年度(一八四八)の場合は、「字巳之台」における稲作・綿作被害の反別が記載されていて、五條村の作物に綿作の比率が、かなり高いことが窺われる。嘉永元年(一八四八)八月一七日に「損地并御普請所」の役所による見分が予定された村々は、「五条村・新町村・須恵村・大嶋村・今井村・牧村・原村・東阿田村・西佐名伝村・東佐名出村」の幕領吉野川沿岸村である。
 吉野の材木は重要な産業であり、代官所が口役銀制度の維持に直接関わっている関係上、「急水に押流」され散乱した材木への取り扱いに繰り返し注意を喚起し、「右材木拾ひ取、押隠、大材之分ハ挽切挽割又ハ打割、山林或ハ地中江埋置候もの」[箱1-24]「欲心ニ拘、隠木其外不正路之取斗いたし候者」[箱1-50]の無きようにとの警告の廻状を村々へ回覧している。流木の取り扱いを巡っては前述の高野山興山寺から辻甚太郎五條代官手附増井左門太への問い合わせの書状がある〔箱4-46〕。
【大 風 雨 に よ る 災 害 一 覧】
年 次月 日被 害 状 況典 拠
弘化2年8/29一作廿七日夜∃リ昨夜廿八日夜半過迄大風雨ニ而、其村々之内水損等も有之侯ハバ、右始末且早・中・晩(早稲・中稲・晩稲)并綿作とも作柄之様子得と見定箱1-51
嘉永元年8/10・一昨八日より同九日ニいたり大雨、吉野川出水、当村地内字巳之台の稲作、綿作被害一円水押ニ相成、別而綿作ハ玉身腐落箱1-24
8/15・八日同十二日両度之大風雨ニ而吉野川并谷川通満水いたし、飯貝口役改所ニおゐて改無之材木類、急水ニ而押流、川筋所々江散乱いたし侯
8/17・村々当八日九日同十二日、大風雨洪水ニ而見分願申立候損地并御普請所見分
9/1・「吉野郡上郷村々ヨリ商売之ため杣取いたし候材木、大水之時分取流」に対する河岸村々への代官所の指示
嘉永3年9/5当月三日之大風ニ而吉野川其外川々満水いたし、吉野郡村々ョリ仕出候材木押流乱いたし候段申立候箱1-26
慶応2年8/12大風雨ニ而吉野川其外川々満水いたし、吉野郡村々ョリ仕出候材木押流し散乱致し候箱1-50
明治3年9/26十八日暴風雨二而吉野川筋洪水之節、右川上において諸材木繋筏乂者川端に積立有之分不残押流し、所々え流寄有之由ニ而取締之義材木方之者願出候箱1-50