五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第七節 御用留から窺える地域社会

 近世社会は訴訟が頻繁に発生している。百姓個人が訴訟の当事者でも、差し紙(召喚状)が庄屋宛てであったり、庄屋が付添人として必要であったりするため御用留に記載される場合があった。わずかな記載例であっても地域社会の一断面が浮かび上がる。
 天保一二年(一八四一)九月、五條村兵七は「粕代貸滞、丑七月滞銀壱〆四百拾匁七分五厘」の返還を求めて訴訟を起こそうとした〔箱1-49〕。旗本庄田五六郎の知行村宇野村利右衛門が相手で、訴える先が領分違いの庄田氏の役場であるため、五條代官所の添翰が求められた。代官所の添翰の交付を願い出るためには庄屋源兵衛の奥印が必要であった。源兵衛は奥印を押したが、その後の経過は不明である。兵七が庄田氏の「役場」へ届け出て解決したか、解決せず奈良奉行所へ持ち込まれたかどちらかである。粕代が高額であることから五條村兵七は農業用肥料油粕を扱う商人であったのではないかと考えられる。二例目は天保一三年(一八四二)年四月、高取藩預所葛上郡御所町善六が五條村糸屋次兵衛を相手に「米代銀滞」の解決を求めて再度の訴訟(追訴)を起こした。一度目の判決では銀六百目余を四回に分けて返済するよう決まっていたが、それを糸屋次兵衛は実行しなかったようだ。「訴状相手方所役人」を宛所として奈良奉行所から五日後の「朝五ッ時迄」に「答書」をして出頭するようとの差し紙が届いた。これもその結果は不明である。小口、大口を問わず、借銀は当たり前のような近世社会である。次の「家出」の背景にも「滞銀」が存在している。