五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第七節 御用留から窺える地域社会

 御用留はすべて〔箱1〕に納められており、その内訳は【御用留一覧】の通りである。御用留の最初が天保一二年(一八四一)七月付の村での入札に関連した記事から記述されているのは偶然ではなさそうである。入札の結果、庄屋役の落札者は中屋源兵衛であって、それまでの仮庄屋などと交代することが決定したからである。庄屋としての責任や誇りを意識し、自覚した結果だと推察されることについては先述した。以後明治の初めまで中屋源兵衛は、庄屋役を含めて何らかの役職に就任している。御用留の最後となる明治七年(一八七四)~同八年(一八七五)間の第八会議所から第一小区副戸長・戸長宛て文書が筆写されたのも、中岩太郎がその地位に就いていたことと無関係ではないのだろう〔箱1-22〕。安政年間~文久年間の御用留が残っていない点は気になるところである。
 御用留に書写された大半の文書は、京都町奉行所・奈良奉行所(南都番所)・五條代官所からの触書の写しである。まさに御用を書き留めた文書の記録である。京都町奉行所触が廻達されたのは、大和国が京都町奉行所の支配国だったからである。金銀改鋳に関わる大坂町奉行所触がわずかに書き留められている。天保の改革に直接関わる緊張感のある文書や幕末の複雑な混沌とした社会の様子を示す文書、明治初期の頻繁に出される通達類はそれぞれの背景を窺わせて興味が尽きないが、五條代官所による触書類はその管轄領域にのみ関わる内容を含んでおり特に貴重である。村や村役人の立場から言えば、江戸・京都などからの各種の触書は、近世社会の全国の動向を知る情報源としても意味があったであろう。天保一四年(一八四三)閏九月二四日付「当御役所御廻状」は、「今般右御改革取調之儀御差止」を内容としている。天保の改革の諸政策は地域社会にも影響を与えてきたが、老中水野忠邦罷免から僅々一一日後には五條代官所管内村々へその中止が触れ流されている〔箱1-51〕。これら触書の回覧に用達や郡中惣代が役所と村々とを仲介している点に関しては別述。御用留には訴訟・荒地起返・貯夫食・習俗・生活・災害・出奔など多方面にわたる貴重な地域社会の情報が含まれる。以下いくつかの点について簡単に触れておきたい。
【御 用 留 一 覧】
最初の記載年次最終の記載年次目録番号
天保12年7月~天保13年12月49
天保13年12月~天保14年9月48
天保14年7月~弘化3年3月51
弘化4年11月~嘉永元年12月24
嘉永元年12月~嘉永3年3月23
嘉永3年4月~嘉永4年5月25
慶應4年1月17日(一日分のみの記載)21
慶應2年1月~明治2年10月26
明治2年11月~明治5年1月50
明治7年7月~明治8年2月22
備考○番号23・21・25は合冊である。元の表題の年次が一部誤って記入されているが、ここでは訂正した実際の年次を記した。 ○御用留はすべて〔箱1〕に納められている。