五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第六節 吉野材木方口役銀と代官所

 文書によって「口役方人足」「口役人足」「口役出役人足」「人足」などと少しずつ名付け方は異なるが、同じものを指していると見なせるので、ここでは口役方人足を用いる。この一連の文書から西阿田村・東阿田村・飯貝村など人足を負担した六ヶ村を拾い出すことができる。それらを【口役方人足一覧】としてまとめた。口役方人足は、五條代官所役人の各口役改所への出張に従ったり、口役改所間の連絡や書簡・荷物の運送に携わったのであろう。飯貝村改役所の重要性は言うまでもないが、それぞれの改所の場所も交通上の分岐点に位置している。
 一覧中の飯貝村の場合、文化一二亥年(一八一五)から文政五午年(一八二二)まで八年間連続の口役方人足御用を勤めた記録であろう。人足賃銀も他村より抜きんでて多い。滝村も亥年~巳年間、毎年人足を提供している様子が窺える。西阿田村と東阿田村は隣村どうしである。西阿田村は、吉野郡下渕村までの人足賃一工代は銀九分であることが別の史料からわかっている。五條村の場合、問屋が関わっているが、この問屋は馬借問屋の謂いであろう。亥年分を三年後の寅年に村に支払っている例があるように、二年後、三年後に支出がなされていることが目立つ。御用留〔箱1-49〕によれば、少し後のことであるが、天保一三年(一八四二)二月二四日付で五條代官所から口役方人足賃を調査して報告するよう五條村・東阿田村・下渕村・下市村・飯貝村に指示がなされている。それから丁度一ヶ月後の三月二四日付の代官所の通達が、人足賃を明後日に受け取りに来るようにと五ヶ村の村役人に届けられている。例年作成される「諸入用小前割賦帳」が西阿田村に保存されている(北山家文書)。天保五午年(一八三四)「午御年貢小前指引帳」においては「又兵衛、壱匁五分五り、巳年口役人足賃差引残り入」、天保一二丑年(一八四一)「丑諸入用小前割賦帳」においては「一、四拾五匁九分、御役所ヨリ下り不足」などとあるように、口役方人足賃が各村や村の百姓の手に渡されるのは遅れがちであった。
【口 役 方 人 足 一 覧】
人足負担村番号日付名称人足負担年人足賃
西阿田村210寅8/14口役方人足賃亥年分179.1匁
209寅8/13口役方人足賃子・丑年分83.7匁
239巳4/13人足賃卯11月~辰年1月78.3匁
東阿田村241巳12/18口役方人足賃寅・卯年分47.7匁
辰年分40.5匁
飯貝村211丑9/10口役方出役人足賃亥・子年分187.1匁
204辰4/9人足賃子~卯年251.1匁
14午3/19口役方人足賃辰1月~午年2月149.5匁
五條村
 先問屋
56辰8/19口役方人足賃辰年(半兵衛分)100.3匁
辰年(儀助分)125.8匁
滝村93寅1/18人足賃亥・子・丑年分37.5匁
48辰2/27口役方人足賃寅・卯年分35匁
11午3/12人足賃辰・巳年分30匁
六田村40 辰3/25人足賃寅年分8.4匁
備考○西阿田村の人足賃を一工宛0.9匁であるとすれば、上からそれぞれ179.1÷0.9=199工、83.7÷0.9=93工、78.3÷0.9=87工の人足分であることがわかる。

【西阿田村口役方人足賃一覧】(天保三年)
人足名人足賃人足名人足賃人足名人足賃人足名人足賃
仙 助9.9貞 吉3.6平 八1.80友 吉6.3
茂兵衛3.6又兵衛4.5栄之助1.8清 治3.6
繁 松4.5甚五郎5.4茂 吉6.3兼 蔵5.4
政 吉4.5利兵衛0.9半兵衛3.696.3
善 助2.7九兵衛3.6熊治郎8.1 ※
平右衛門8.10与三松4.5弥 蔵3.6
備 考○典拠:北山家文書「御口役人足賃銀小前渡帳」(天保4年巳)。数値は前年の天保3年の人足賃分である。 ○人足賃の単位は匁。各人物の人足賃は0.9匁の倍数である。つまり、人足賃一工宛てが0.9匁とみなされている。北山家文書でははっきりと下渕村まで0.9匁で計算されている。従って96.3匁は107(96.3÷0.9=107)工分を示す。ただし、下渕村~西阿田村は0.9匁であっても別の村までの人足であれば異なると考えられる。 ○※茂兵衛・又兵衛・弥蔵の3人には「まし」分0.3匁が別に記載されているので、厳密にはこの3人分の0.9匁を計に加算する必要がある。 ○西阿田村は、時期によって東方・西方に二分されている。この史料が全村の口役方人足の実態かどうか不詳。