五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第五節 五條代官所

第三項 掛屋・用達・郷宿

 代官所管内の幕領村から、例年二期に分けて一年間分の「郡中入用銀」が集金されている。一度目は、「六月郡中入用銀」「正月ヨリ六月迄郡中割」「夏割郡中入用掛り」と称されるているように、六月頃に集金され、二度目は「霜月郡中割銀」「一一月郡中入用銀」「七月より一一月迄郡中割銀高掛」などと記述されるように、一一月頃に村高に応じて集められた。一一月郡中入用銀の場合は、しばしば春日祭礼入用銀と同時に代官所の廻状で通達されている。また、高野山御免勧化や遠州浜松諏訪明神御免勧化などのような御免勧化入用銀が郡中入用銀と同じ廻状で村々へ触れ流されているケースもよくある。
 五條代官所設置以前の五條村の一例を挙げると、天明九年(一七八九)七月の郡中割においては、「銀四拾壱匁九分四厘、又道具屋入用拾四匁九分八厘」を拠出している。この折り、宇智郡村々庄屋・年寄宛ての大坂谷町代官所の廻状が順達されていて、そこには「郡中割勘定為見届」に惣代庄屋(一郡から一両人ずつ)が参会し、その申告に基づき(「惣代庄屋を以申上候通之当を以」)、村々に割賦した旨の通達と「来ル十日迄大和田屋善兵衛方」へ納付するようにとの指示がなされている。拠出銀の中に「道具屋入用」が含まれているのは、奈良の用達道具屋清九郎が、宇智郡の村の大坂鈴木町大和田屋善兵衛への納付に仲介した経費であろう。代官所が発給し指示した廻状ではあるが、各郡の惣代庄屋が参集して勘定の如何を確認したその結果を順達しているのである。
【郡中入用銀一覧】
文書年次入用期間総入用銀総掛かり高100石宛その他納付所典拠
天保13年
6/22
(郡中入用)6, 870.97(匁)55,422.871(石)12.41(匁)御用金掛改
御用達藤助
二見村
御用留
弘化2年
6/22
(郡中入用)13,409.7578,565.373217.07山中八幡寄付銀御川金掛改藤助1-51
弘化4年
11/16
(郡中入用)8,960.9578,565.373211.41遠州浜松諏訪明神御免勧化
・河州誉田八幡御免勧化
御用金掛改藤助1-24
嘉永元年
6/晦日
弘化4年11/~
嘉永元年5/
17,530.4167,904.05625.82常州筑波山勧化
・越前白山平泉寺勧化
御用金掛改
御用達藤助
1-24
嘉永元年
11/7
嘉永元年
6/~11/
8,588.3167,904.05612.64京都北野宮勧化御用金懸改
御用達藤助
1-24
嘉水2年
6/25
嘉永1年11/~
嘉永2年5/
16.533※常州黒後東叡山勧物掛改用達藤助1-23
嘉永2年
11/22
嘉永2年
6/~10/
10,204.1467,904.05615.03御用金懸改
御用達藤助
1-23
嘉永3年
11/24
嘉永3年
6/~10/
6,787.4067,904.05610高野山御免勧化御用金掛改
御用達藤助
1-25
慶応3年
11/21
慶応3年
6/~10/
48.38桂姫勧化組合→源兵衛1-26
備考○二見村「御用留」以外は中家文書 ○総掛かり高は、五條村・須恵村など五ケ村分高871.909石を引いた分である。 ○その他は、郡中人用と「同時に廻状で通達されている御免勧化を挙げた。 ○※「御用状持参賃、陣屋長屋修復其外諸品ニ郡中割候」とある。 ○五ヶ村の郡中割銀が免除になった理由は、陣屋元村であること、新町村と六倉村は以前から諸役免除が行われてきたことなどの点が考えられるが、詳細は不分明。

 ところが、五條代官所の設置後まもない頃からの五條村は、「五條村・須恵村・新町村・六倉村・大嶋村定例之通郡中割除之」の扱いになり、その五ヶ村の合計高八七二石余が総高から差し引かれ、この残高をベースにして郡中入用銀総額が代官所管轄村へ割り振られるようになった。御用留だけを見る限り、その通達によって御用金掛改用達方への納付が指示されている。
 一覧表【郡中入用銀一覧】には載せていないが、慶応三年(一八六七)六月割の場合「御役所様より御廻状を以御達」するのが先例であるが、「惣代共より申達候様被仰渡」たので、この急廻章を順村させると断り書きを入れて「宇智郡惣代新町村庄屋久兵衛」による急廻章が新町村以外の一四ヶ村に廻されている(従って宇智郡内ではもう一通が順村されている筈である)。百石につき、郡中掛り・無宿入牢人飯代入用・牢番半左衛門余荷割の三種類の合計一三五匁四分八厘を用達中屋源兵衛へ納付するよう求めている(柏田家文書)。確かに一覧表の大半は御用留に転載された代官所の廻状であり、代官所の廻状を通して負担額や納付先・期日などが村々へ知らされたことは明瞭である。村々に基づく郡中入用の公開性や公明性を付与するためにであろう「帳面見届度もの共ハ勝手次第可罷出」との文言が、常套句のように代官所の廻状に見られるのも特徴点である。
 慶応二年(一八六六)の霜月割の際の一二月一日付廻状や慶応三年(一八六七)の霜月割の折りの廻状には「令割賦候旨申出候条」との文言が見られる。つまり、代官所の廻状作成以前の段階で、代官所に割賦を「申出」る立場の者が存在するらしい。既に「郡中割勘定為見届」のために各郡の惣代庄屋が参会し、その「申上候通」りに大坂代官所で割賦した点について述べた。これと同じ状況を指しているのではないかと思われる。
 〔箱1-23〕によれば、嘉永元年(一八四八)六月割に「十一月ヨリ当五月迄御用状持参賃、陣屋長屋修復其外諸品ニ郡中割候」とあるので、「御用状賃・陣屋長屋修復」が郡中入用の細目の一部を成すのであろう。また、京都・大坂・南都・五條の各用達料が「其外諸品」に含まれると思われる(「御用記」寛政十年:五條市立図書館蔵)。郡中割の内容の全体像が明瞭でない中での判断は難しいが、「陣屋長屋修復入用」「御用状賃」「御用達料」もその内容を成すとすれば、郡惣代の参会の必要性と同時に、代官所が納付に関与するのは不自然ではない。郡惣代らと代官所との合意形成がなされた上に、帳面の公開の文言も記して村々へ回覧された。
 代官所が触れ流す郡中割の廻状には、それ以外に御免勧化・無宿牢飯代掛銀・牢番半左衛門余荷割などがしばしば並べて納付すべき項目として記載されているが、これらについては今後の検討課題である。