五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第五節 五條代官所

第二項 村木行政

 三月一三日付で五條代官青山九八郎から新宮藩に問い合わせをした。三月二五日になって新宮藩は青山九八郎手代青津等左衛門・手附田中八十次郎に取り敢えず簡略な返答をし、詳細は追って回答する由を伝える〔箱4-45〕。「池田御蔵」と称する材木置場と「無滞御用向相勤」める吉野屋覚兵衛の由緒についての二点の新宮藩への問い合わせであった。新宮藩は、七月六日になってから詳しい内容の返答を五條代官所へ正式に行っている〔箱3-355〕。〔箱3-356〕は閏一一月一九日の日付であるが、青山九八郎が五條代官の任期中で且つ一一月に閏月があるのは天保三年(一八三二)のみである。寛永年間以来二〇〇年間「御材木御用」を勤続し、寛政九年(一七九七)には五條代官河尻甚五郎から「御用絵符提灯」を貸し渡され、文政一〇年(一八二七)には「若山表ヨリ旅行之節并御材木川下非常等之節帯刀」が許されるなどの由緒を持つ覚兵衛である。「公辺御役所向」から、つまり公儀の立場からだけで前例のない「規矩」を立てることについては、吉野屋覚兵衛が新宮藩領分の者であるが故に支障が生じるのではないかと懸念されて、相互に遣り取りがなされ議論された。