五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第五節 五條代官所

第二項 村木行政

 五條商人は、以前から三名郷・一二村郷・船川郷から板樽丸を仕込み、加名生谷を通って五條へ運んできた。ところが、近年、三名郷・十二村郷・船川郷の者が簾村や江出村に置かれた口役所を避けて「紀州境表野村・火打村」へ行き、五條商人の手を経ず、紀州の恋野村から橋本町まで船で輸送している。このままでは五條の荷物稼牛馬遣の者は生活が出来ないばかりか、伝馬所御用にも差し支える。江出村口役所での口役銀を免除して貰って、従前のように五條村へ荷物を送りやすいように計らってほしいこと、中村番所からすぐ近くの表野村・火打村に出張所を設けて通過する馬荷からは口銭を徴収したいこと、以上の二点を五條三ヶ村の村役人一七名が辻甚太郎代官所に申し出た願書である〔箱3-337〕。紀州との境に位置する表野村を経て紀州伊都郡恋野村から橋本町へ抜ける輸送通路が争点とされた最初は、表野村法師ヶ坂の道が問題となった元禄一六年(一七〇三)の辻弥五左衛門代官裁許状である。その時は加名生谷村々が相手、今回は更に吉野郡の奥に入った三名郷・十二村郷・船川郷が争論相手であった。また簾村、江出村の口役所での口役銀が一つの問題点として浮上していること、板樽丸が商品荷物として重要であるらしいことも新しい問題点となっている。五條村役人九名のうち、加役年寄六名利兵衛・源兵衛・藤助・東兵衛・三郎兵衛・九兵衛は、この代官所への訴願上特別に加役年寄役に就いたのであろう。源兵衛は中屋、藤助は久宝寺屋、東兵衛は常楽屋であると考えられる。この結果は不明である。