五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第五節 五條代官所

第一項 代官所

 寛政七年(一七九五)に大和国宇智郡五條村に代官所が設置されたことは特筆すべきことである。大和国の幕府領五~七万石余を統治するためには、代官所(陣屋)の建物や牢屋などの建築物の維持は勿論のこと、掛屋・用達・郡中代・郷宿・御用飛脚など様々な人物や組織を統制下に置き、機能させなければならない。陣屋元村の庄屋ら村役人の立場も従来より重みを増す。
 代官所が設けられることになった直接の原因としては、その前年の芝村藩における預所方役人の不正が発覚したことがあげられよう。しかし、吉野郡の木材への課税や保護政策としての仕法替えが文化年間において具体化され得たのは、五條代官所が存在したから可能であったということを考慮するならば、小川郷などの繰り返された仕法替え運動が代官所設置へと導いた可能性を必ずしも否定できないのではないか。その場所が五條村であった理由としては、経済的な発展・交通上の利便性・文化的な一定の集積などを備えていた点を指摘できようが、同時に公儀御用を務める伝馬所が久しく置かれてきたことも、重要な要因の一つだったかもしれない。中家の伝馬所関係の文書をみると、あらためてその感を深くする。