五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第四節 五條商人

 〔箱3-352〕は享保八年(一七二三)に作成された文書で、「加名生谷ヨリ橋本へ出入荷物」名やそれを五條で継いだ商人名などが記載された送り状集である。「三ヶ村商人之内加名生谷在々江商ひ仕候もの」として一九名、半九郎・権三郎・清兵衛・源十郎・源兵衛・善右衛門・長九郎・次郎兵衛・久兵衛・五兵衛・藤右衛門・庄兵衛・仁兵衛・藤助・清九郎・藤兵衛・武右衛門・傳四郎・三郎右衛門が挙げられている。しかし、実際の送り状では中継ぎの五條商人は大半が犬飼屋権三郎名である。その品について「加名生谷之義、村数一一ヶ村御座候へ共、高千石程之所ニ御座候ヘハ、多ク之荷物も無御座候」と書かれている割には、漆・畳表・種・多葉粉・楮・石灯籠・雑賀塩・日方塩・鰯・鉄・砥石など結構多様であるが、その頻度数においては漆が特に多い。〔箱1-14〕と〔箱3-352〕とは大半同文言である。
 次は、生活必需品である塩荷についての史料の紹介である。五條三ヶ村の塩商人と橋本町と争論の結果、宝永六年(一七〇九)一一月朔日に内済が成立している。〔箱1-6〕には内済で取り交わした証文の写しが載せられているが、『橋本市史近世史料Ⅰ』にも掲載されている。紀州小倉光恩寺の仲介による橋本側と五條側の双方による相互に取り交わした文書なので、宛所のみがその順を変えている以外は両者は同文である。別の文書でもこの件について触れられている〔箱1-5・7〕が、明治二年(一八六九)の時期になっても「光恩寺演誉」の仲介による塩商いの約定を根拠とした五條側の主張が認められるなど、一六〇年間以上の効力を持った重要な取り決めであったようだ〔箱1-27〕。しかも、「光恩寺」宛の関係書状が現存する上でも貴重な事例である〔箱4-40・41・42〕。済口証文は以下のような内容である。五條商人は紀州産の塩については橋本の塩市にかけて直取引はしないこと、五條商人が購入した他国塩や和歌山で購入した他国塩については「蔵敷」(保管料)を出すが、塩市にはかけないことなどを取り決めた。この宝永年間の訴訟直前の元禄年間頃の五條塩商人と彼らの仕入れの状況を【塩問屋と仕入れ一覧】として纏め、取り引きの一端を示しておこう〔箱3-350〕。阿波塩と讃岐塩以外、大半は紀州の雑賀塩・日方塩を仕入れている。『橋本市史近世史料Ⅰ』の四九〇貢「五條村への塩送り状」は、「五條ヨリ差上ヶ之送り状写し」とあること、同一の送り状が含まれることなどから、〔箱3-350〕と同系統の文書と考えられる。「五條村への塩送り状」には元禄七年(一六九四)~同一七年(一七〇四)の一二通の送り状が含まれるが、三葛、日方、雑賀の紀州塩と播磨と阿波の他国塩が仕入れられている。犬飼屋市兵衛が九通、犬飼屋二郎兵衛、花屋太右衛門、久宝寺屋源七が各一通の塩の送り状を受け取っている。花屋太右衛門、久宝寺屋源七は〔箱3-350〕の史料中には現れない。中屋源兵衛は塩商人の一人であり、かつ種粕・胡麻粕の商売人でもあることがわかる。五條商人が紀州の三葛・日方・雑賀塩を橋本市場を介さずに直接手に入れていたこと、阿波塩・播磨塩も入手していたことにも注目したい。
【塩問屋と仕入れ一覧】
日付産地塩量商品値船賃和歌山商人橋本商人五條商人
3/5阿波塩15俵3.95匁炭屋惣右衛門伊左衛門助四郎
3/22日方塩25俵5.69炭屋惣右衛門伊左衛門す川や助四郎
3/8日方塩30俵6.83惣右衛門ならや伊左衛門す川や助四郎
3/9日方塩30俵14.97①伊左衛門す川や
11/6(不明)200俵あほしや右衛門作利右衛門
10/29日方塩31俵81.53②7.05③炭屋惣右衛門中や源兵衛
3/19日方塩30俵72④炭屋惣右衛門す川や助四郎
10/27雑賀塩48俵160和歌山駿河町久左衛門犬かいや市兵衛
6/9讃岐塩26俵171.6炭屋惣右衛門犬かいや市兵衛
10/29日方塩31俵7.05炭屋惣右衛門はしもと勘兵衛(中屋源兵衛)
2/29日方塩
阿波塩
30俵
20俵
12.16炭屋惣右衛門なら屋伊左衛門住川屋助四郎
菊屋四郎兵衛
3/22日方塩25俵*升屋利右衛門五條中屋源兵衛
亥9/6日方塩110俵242(す屋八兵衛)五條安兵衛
7/2⑤雑賀塩96俵21福町表屋源四郎つま村惣右衛門五條市兵衛
6/29(不明)33石61.7源四郎二郎兵衛
4/5日方塩25俵39.75⑥*升屋利右衛門中屋源兵衛
4/7日方塩25俵39.25⑦
4/12日方塩25俵39.50
4/1胡麻粕100216
5/8種粕50103
備考○〔箱3-350〕の記載順である。商品値と船賃の単位は匁である。 ○①は「船ちん・だちん・蔵布(敷)共」 ○②には「御うん上」が含まれる。 ○③「はし本拂」とある。 ○④にはこれ以外に「口銀・口せん」が記されている。 ○⑤は「送り状」である。『橋本市史:近世史料Ⅰ』p492に同文言の文書(元禄7年~17年)があり、それは元禄11年の文書である。橋本側の文書と同系統に属すると思われ、一覧中の亥年は元禄8年だと推定される。 ○⑥と⑦は「口共」 ○炭屋惣右衛門とつま村惣右衛門は別人物とみなした。*升屋利右衛門は和歌山商人か橋本商人か不明瞭

 【野原村<抜荷物>一覧】は、享保七年(一七二二)に五條三ヶ村と野原村との間に争論が起こり、奈良奉行所での審理が進行中に発生した<抜荷>の記録である〔箱1-18〕。抗争の最中の短期の間にも「十四日晩初夜時分荷物弐駄」が通過するなど、塩や干鰯などを野原村商人が橋本方面から入手しているのである。吉野川を挟んで対岸同士の野原村と五條村は、橋本町方面~吉野郡方面との物資輸送の中継地としての競合関係にあった。
 もう一例は〔箱3-353〕である。この文書が作成された動機は、橋本町が坂部郷や霊安寺村~橋本町間を自由に商品荷物を馬荷として積み往来してきたのだという主張に対して、それならばわざわざ迂回するコースを辿って「右村々ヨリ五条村へ荷物出し、五条ヨリ橋本へ送り可申様」なことは無いはずにも拘わらず、五條村の「半九郎」がたばこ・茶を運んでいるではないかという反論・反証のためである。「舟八兵衛」「夫善兵衛」などと、どの場合も記されているが、馬借所差配下の吉野川通船と陸上輸送の馬借の区別を意味しているのではないかと思われる。【霊安寺村・御山村・黒駒村~橋本間出荷入荷(五條継)一覧】を作成したが、霊安寺、御山、黒駒の三ヶ村から五條の商人半九郎を中継ぎとして橋本まで運ばれた荷物と橋本から半九郎の手を経て御山、黒駒村に輸送された荷物の場合である。商品作物として、霊安寺村周辺では煙草、御山村周辺では茶を栽培していたのだろう。流通先は橋本町、和歌山城下、更には阿波国まで運ばれたようである。すくも(藍を素材とした染料)の流れは、特産地阿波国の商人から橋本町を経て、更に半九郎から御山村伊右衛門らに出荷されるコースだったのだろう。この半九郎は〔箱3-352〕に記述される一九名の商人の一人であろう。五條商人半九郎は、霊安寺村や御山村らの地域の商人をはじめ橋本町・和歌山城下の商人・阿波国の商人らとの広域取り引きをする商人だった。
【野原村〈抜荷物〉一覧】(享保7年)
日付品名・量荷主

10/26
塩一駄(七俵)野原村傳九郎
塩二荷(四俵)野原村平九郎
塩二荷(四俵)野原村重左衛門
10/27塩二荷(六俵)野原村久兵衛

10/29
塩一駄(七俵)野原村竹屋利右衛門
一駄(塩三俵)
  (干鰯二俵)
野原村河内屋久兵衛
塩一荷(二俵)野原村毛綿屋彦五郎
11/11塩一荷野原村作兵衛
11/14二駄(塩・切石)野原村年寄弥兵衛
備考○典拠:〔箱1 -18〕(享保7年、野原村との訴訟文書)
○三ヶ村側が抜け荷として判断した荷物と荷主。

 断片的には干鰯や米穀などの他の商品の出荷・入荷の記録も散見されるが、これらを示す具体的な史料は中家文書には見当たらなかった。享保二〇年(一七三五)の筏上床積み荷物一件の結果以後は、杉丸太・杉樅板類などを筏上の荷として輸送すれば、その多くは五條地域は通過するだけとなる。河州駒谷村・古市村・国分村・和州亀瀬村等所々問屋方への流通への影響も小さくはなかったであろう。
 以上の商人や商品物資のあり様は、訴訟文書に記録された限りでの商人や商品物資であるため、これらは一断面を示しているに過ぎないだろうこと、特に橋本町は塩取り引きの特権を得たことから発展した在郷町であることに留意して置く必要がある。安政六年(一八五九)七月「本荷拾荷仕訳」(柏田家文書)では、本荷五〇余品目、拾荷二〇余品目以上が挙げられているし、五條商人の米の出荷については『橋本市史』によれば相当量の取り引きがあったことがわかる。
【雲安寺村・御山村・黒駒村~橋本間出荷入荷(五條継)一覧】
年次品物出荷人入荷人
子(享保5)11/3たばこ14丸霊安寺村金兵衛・市郎兵衛橋本花屋吉兵衛
子(享保5)11/22たばこ3丸霊安寺村平助・金兵衛花屋吉兵衛
子(享保5)11/25たばこ7丸霊安寺村金兵衛・平助花屋吉兵衛
丑(享保6)2/9たばこ3丸霊安寺村金兵衛花屋吉兵衛
丑(享保6)3/1たばこ9丸霊安寺村平助・金兵衛花屋吉兵衛
丑(享保6)3/4たばこ6丸霊安寺村金兵衛花屋吉兵衛
丑(享保6)2/6たばこ3丸霊安寺村金兵衛橋本→和歌山きね屋九兵衛
丑(享保6)2/7たばこ3丸霊安寺村金兵衛橋本→和歌山坂本屋勘重郎
丑(享保6)9/5小豆1石霊安寺村金兵衛橋本→和歌山有田屋善吉
丑(享保6)10/34本御山村伊右衛門(橋本)
寅(享保7)1/138本御山村伊右衛門橋本→阿波国源右衛門
寅(享保7)9/3たばこ1丸霊安寺村清三郎橋本→和歌山きね屋九兵衛
卯(享保8)1/116本御山村伊右衛門橋本小四郎
小計 駄数20駄
丑(享保6)10/3すくも1俵阿波国源右衛門御山村伊右衛門
寅(享保7)1/13すくも1本阿波国源右衛門御山村伊右衛門
寅(享保7)10/14すくも1本阿波国源右衛門御山村伊右衛門
寅(享保7)10/15すくも2本阿波国源右衛門黒馬(駒)村善四郎
小計 駄数2駄半
合計  駄数22駄半
備考○典処:〔箱3-353〕 ○すくもの単位の俵と本の相違は、原史料のまま表記 ○五條で継いた荷物である。 ○すべての擂冷「半九郎帳」とあるので、商人半九郎の帳面からのみ書き出された文書だと考えられる。