五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第三節 伝馬所

第二項 馬借所争論

〔箱3-346〕に集録された文書の一つに、奈良奉行酒井丹波守(忠高)による裁許状の写がある。明和四年(一七六七)の一〇月、宇智郡滝村善右衛門の売却用渋柿一〇駄と輸送した船・船道具を五條村・須恵村・新町村船頭九名が差し押さえたため、善右衛門が船頭・五條村役人・問屋忠右衛門らを相手とした訴訟である。五條村庄屋や問屋らの主張は、五條の馬借所が運営されて以来、「柴割木之外荷物船積」の輸送は禁止されていて、その理由は「人馬之駄賃ヨリ船積賃下直」であれば当然「川筋之諸荷物ハ勿論吉野郡中一統其外向寄之荷物不残船積」となってしまい、伝馬御用は勿論、往来の人馬や駕籠等の渡世の者は家業を失う事態を招来することになるからだという。つまり、「御傳馬筋其外諸用可相勤人馬駕籠」の営業を保護するため、柴割木だけの限られた船積み輸送を認めているというのがその論拠である。この立場は奈良奉行によって認められるが、善右衛門と協議すれば済むはずを「如何様ニも及對談取斗ひ方も可有之処、かさつ之致方ニ相聞不埒」であるとして問屋らも咎めを受けている。しかも渋柿・船・道具の損傷については、相互に立ち会って賠償問題の解決を計るよう奉行に促されている。持ち船で輸送した善右衛門は「五条村馬借所江及相對候儀ニも無之」く輸送に及んだとして奈良奉行から論難されている。この点、後述するように吉野川通船は五條村馬借所の差配下にあったことが窺われる。またかつてのように五條村・新町村・須恵村三ヶ村の存立を懸けた地域を挙げた訴訟から、請け負っているとは言え馬借問屋・五條村と船持滝村善右衛門との個別的な訴訟へと傾斜していることにも注目したい。