五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第二節 五條村

第六項 絵図

 D「馬借通路絵図」(巻頭図版)は、優品で見事な俯瞰絵図である。ここで時代考証をする余裕はないが、和州宇智郡五八ヶ村、和州吉野郡二〇ヶ村、紀州二一余ヶ村の合わせて百余ヶ村(但し、田殿村と大深村はそれぞれ紀州と和州に二つに分かれている)が色分けされて描かれている。五條村・須恵村・新町村は村境を区別しないで一つの纏まりとして家並みを画き分け、その中で高札場が際立っている。外に町場として家並みが描かれている村は、野原村、下市村、橋本町の三ヶ村だけである。伊勢街道と吉野川(紀ノ川)で見ると、和州吉野郡下渕村・下市村~紀州伊都郡橋本町・清水村の区間の中に、渡船場(船の絵が沿岸にある)が四箇所(五條村、黒駒村、芋生村、橋本町)描かれる。橋本町の町並みの紀ノ川対岸を通過する「高野山海道」に「二軒茶屋」と「三軒茶屋」が記載されているのは渡船場の存在を示す符牒の意味合があるのだろうか。大日川村・向加名生村までの丹生川には船が描かれないが、橋が二ヶ所架けられている。絵図上には「此村、五条村馬借所ニ付、川南脇道荷物通路境目」「紀州ヨリ和州吉野郡江之歩行道」「此道筋、五条村ヨリ紀州富貴村并和州吉野郡江之牛馬道」と説明された付箋のある場所も描かれる。「五条村より道矩」の例として、泉州堺・高野山・金剛山・橋本・和歌山・南都などまでの距離が記されると同時に土田村まで挙げられるのは、生活圏や五條馬借所のテリトリーとの関連を連想させる。五條・須恵・新町三ヶ村から北の金剛山に向かって延びる二本の道には「千早越大坂江之道」「大沢越道堺大坂道」の説明書きがある。環境世界として近景に緑色で「白銀嶽」と「赤銅嶽」が、四周を囲むような位置に遠景として灰色で「大峯山上」・「吉野山」・「高野山」・「金剛山」が、それぞれ配置され描かれている。五條地域の人々の一つのコスモロジーや、自らの生活圏と地域社会圏へのまなざしを表現しているように読み取れる。
 なお付け加えると、Aの常夜燈の絵は現存の吉野川大川橋北詰に置かれている「永代常夜燈」そのものであると考えられる。現存の「永代常夜燈」の建立年は天保二年(一八三一)九月である。基壇の正面に刻まれている米屋市右衛門・山内屋新兵衛・田中屋忠兵衛・上田屋利兵衛・山内屋喜助・住川屋兵七・中屋源兵衛・野原住川屋藤兵衛ら八名は、吉野川の船運営に携わった人物ではなかろうか。