五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第二節 五條村

第六項 絵図

 既に上述したA〔箱3-339〕は、平成元年(一九八九)に五條市指定文化財に指定されている。道路・川・建物を描き、建物・宅地所有者の屋号と名前が記されている。借家の場合は貸借関係がわかるように名前が記されている。幕末の在郷町としての五條村の町並みの様子を示す貴重な資料である。絵図の裏面には、折りたたんだ時の表紙上面に当たる部分に「五條村麁絵図」との墨書がある。また、これを納めていたと考えられる紙袋入があり、蝋燭図と口上が書かれている。元は、販売された蝋燭用の包紙だと考えられる。文字面はかなり擦れて判読が難しいが、「和州宇智郡五條駅常楽館久保東兵衛製」とあって、近世三大農政家の一人とされる大蔵永常と深い親交のあった五條村常楽屋東兵衛の手になる口上である。大蔵永常著『農家益』(後編)には、永常が九州から取り寄せた「松山」という櫨苗を常楽屋東兵衛に送ったこと、それを隣村の地味が悪いと風聞のある赤土の荒木山に多く植えられたこと、しかし手入れよくすれば「大いに繁茂し、実も年増に生」じたことなどが叙述されている。この包紙の広告文にも「特取本州荒木山」「實製用代蝋」などの文言が読み取れる。櫨の栽培と蝋燭製造における、大蔵永常が各農書で説いた「農家の利益」を生み出すべく商品作物生産の典型的実践例を示す貴重な資料である。大蔵永常と宇智郡の綿花栽培との関わり、代官所との親密な交流などについてはよく知られている(『五條社会歴史研究』第四集)。『五條市史』に記載されている五條村の小物成年貢品の一つに「蝋実稼」が天保一五年(一八四四)と弘化二年(一八四五)に含まれているのは、常楽屋東兵衛・大蔵永常らの活動を反映しているのであろう。