五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第二節 五條村

第三項 村高・年貢

 前述のように五條村の村高は、一七世紀に確定以後は不変であるが、永荒・川成などが斟酌されて、毛付高は年によって相違する。一八世紀後半から幕末まで、ほぼ荒地高は七五石前後である。寛政元年(一七八九)の五條村の作付は、毛付高三百五石四斗余のうち田高百五拾四石六斗余で、面積は約九町四反歩あった。そのうち五八%弱の五町四反余歩を稲作、残り三六%余の三町四反余歩を木綿作としている(「御用記」奈良県立図書情報館蔵)。天明七年(一七八七)は、田の面積七町七反余のうち綿の作付は四〇%余の三町一反余である(奥田修三「近世大和の綿作について」ヒストリア一一号)。小物成については、山年貢・栢役・酒造冥加・酢造冥加・醤油冥加・蝋実稼などがあった(『五條市史』)。天保一四年(一八四三)の場合も、少なくとも藪年貢米壱升四合、山年貢米壱斗、栢役米三斗壱升三合が課税の対象だったようである〔箱1-48〕。
 課税の方法として高割・軒割・間数割など課税の基準や負担する税の種類など、隣村の新町村はある程度の知見を得られるが、五條村は不分明である。定免か検見かについては、代官所が五條村に置かれたこともあって、寛政八年(一七九六)と翌年寛政九年(一七九七)の両年は定免で請け負っている。しかし、切り替え年の寛政一〇午年(一七九八)には、早くも「御検地見取」を代官所に要望している(寛政十年「御用記」五條市立図書館蔵)。
【五條村の村高・荒地高推移】
年次村高
(石)
前々永荒
(石)
川成
(石)
川成
(去卯・子年)
(石)
荒地高計
(石)
新規陣屋・
牢屋敷地高(石)
残高(石)
天明8年381.24433.841.530.48675.816305.428
天明9年
寛政8年3.9222301.5058
寛政10年
享和元年
備考 ○各年の「御用留」から作成 ○『五條市史』によれば、天保15年と弘化2年は共に残高は306.2929石で、年貢の高免が天保15年の場合0.4371、弘化2年は0.4392である。 ○荒地高計は筆者の計算値 ○陣屋・牢屋敷地高は、寛政七年以前は五條村に代官所が無いので村高から引かれることはない。 ○幕末の安政六年~文久三年前後の荒地高は74.87余石である(『四〇〇年記念誌』)。

【五條村の取米・毛付免】
年次村高毛付高取米毛付免
明和8381.244石292.2709石109.078石0.3732
寛政8381.244301.5058178.03540.5904
天保15381.244306.2929166.60740.5439
弘化2381.244306.2929167.42540.5466
備考○『五條市史』p459の一覧を加筆 ○寛政8年「御用記」(五條市立図書館蔵)以外は中家文書(『五條市史』)