五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第一節 中家と中家文書

第四項 中家文書の特色

 中家文書は、文書数六百点余が現存している。それらは衣装ケース四箱に収納されており、ケース別にそのまま〔箱1〕~〔箱4〕として分類した。従って衣装ケース内史料以外の高札・絵図などは、ここでは除外されている。
 〔箱1〕には七七点あり、その内半数以上が享保年間の馬借訴訟に関する文書である。また享保年間以外の時期の馬借訴訟関連文書三点がここに含まれている。一方、中家文書には御用留十点余が残されているが、それらすべてがこのケースに収められていた。幕末から明治初期にかけての「困窮人救助」や「施粥」活動など村民の救恤に関わる文書が六点余、近代教育の幕開けを示す小学校建設や諸入費等に関係した文書が七点余、明治期の町政の様子を示す取り決め書二点余がある。
 〔箱2〕の文書数は二三点と数は少なく、地図・書籍・絵図・文書・巻子・扇などを含み雑多な印象を受けるが、良質の文書が含まれている。指図類は「五條県庁正門設計図」「五條陣屋間取図」など六点余、絵図類としては五條村の田畑の分布状況を示す麁絵図や農兵鉄砲稽古図があり、貴重である。馬借所訴訟における元禄一六年(一七〇三)の代官辻弥五左衛門や享保九年(一七二四)の幕府評定所の裁許状は、特に重要である。巻子仕立ての宝暦六年(一七五六)の「塩商いに付き歎願次第覚書」は、中家や堤家など地域社会の有力なリーダーの心意気や行動力を示す貴重な文書であろう。もう一点の巻子仕立ての「新撰伊呂波短歌」は、明治維新前後の政争・世相を風刺している。また五條代官から褒詞状を下賜された中いとに関わる史料が二点。
 〔箱3〕の文書数は四四〇点余と〔箱1〕~〔箱4〕のうちで最も多く、かつ全体数の七割以上を占めている。その大半は吉野産の材木の口役銀に関連した一紙文書である。五條代官所による貸し付け金や貯夫食代銀関係文書も含まれる。〔箱1〕にある享保年間の馬借所訴訟文書と直接関係する文書がここにも収められているが、それ以外の時期の馬借所訴訟文書もある。書状や領収書類の覚などの一紙文書も多く見られる。文久三年(一八六三)の天誅組の変後に、庄屋・三ヶ村惣代・用達としての中屋源兵衛が、藤堂藩と村々との間にあって出した廻章や書状三一点余を一巻子に纏めたのが「文久亥年事変後廻章並書状」である〔箱3-409〕。この三一通の文書には枝番号を付した。
 〔箱4〕の文書数は五三点余で、書状が大半を占める。用達や庄屋、戸長の職務と関わった書状が多い。天誅組の変で犠牲となった鈴木源内代官の子息からの書状をはじめとして、旗本多賀靫負家臣・紀州藩役人浅井忠八・新宮藩家臣・代官所元手附・吉野郡惣代らの書状の存在は中屋源兵衛の役職との関連が不可分である。「家内諸事格式控」・「香奠帳」や「大坂代官・五條代官心得書」については後述する。書籍が僅かではあるが、ここに収納されていた。いわば国語辞典的な寛政五年(一七九三)刊『大全早引節用集』や、相手の地位や身分に応じて使い分ける必要のあった書状の様式や文言の範例集である文政三年(一八二〇)刊『書状大全』は、用達や庄屋に不可欠な必需品だったろう。森田節斎の門弟片山重範が著した刊本『節斎森田先生行状書』が所蔵されているのは、いかにも中家の明治期の地域における立ち位置をよく示しているように思える。