五條市教育委員会/中家文書調査報告書

中家文書調査報告書

第三章 解説

第一節 中家と中家文書

第二項 掛屋・用達

 次に中家で触れなければならないのは、五條代官所の掛屋や用達を拝命している点である。五條に代官所が設置され、初代代官河尻甚五郎が着任したのは、寛政七年(一七九五)で、当面宇智郡・吉野郡・宇陀郡内の幕府領五万石余を支配することになった。その掛屋は最初、五條村源兵衛・宗八・新町村久兵衛の三名で、代官所運営のために公金の歳出・歳入の仕事の万端を担うことになった(柏田家文書)。明治を迎えるまでの約七〇年の期間中、五條代官所の掛屋に就任したのは、管見の限りでは中屋源兵衛・森脇屋久兵衛・当麻屋宗八・久宝寺屋藤助・銭屋佐太郎らで、新町村の森脇屋久兵衛以外の四人は五條村百姓である。任命された代官の格式や幕政の諸事情によって増減のある幕府領を管轄する代官所の支配高は、一定ではなく、七万石を越える場合もある。公金の収納や運用の側面とは別に、二百の数を超える村々のそれぞれの庄屋やいくつかの村が寄り合った組合村などの組織と代官所を繋ぐ媒介項が必要であった。身分上の区別も不可欠であった。その仲介役として、掛屋や用達が置かれた。ただ「御用金掛改御用達藤助」などとも記されていて、用達と掛屋の業務上の区別が不明瞭である。代官所の業務を幅広く代行しつつ村々と仲介をする用達に対して、掛屋は主に「御用金」業務に携わったものと一応簡単に区別しておく。複数の用達が同時に置かれていたことも指摘しておく。「御用達両人奉申上」との文言のある文書(〔箱1-49〕五條村源兵衛と新町村久兵衛)も含めてその微証が散見される。用達中屋源兵衛の文言のある一紙文書は〔箱3-358〕〔箱3-384〕〔箱3-409〕など何点か残る。〔箱3-358〕については宛て所が「御役所御用達中屋源兵衛」であること、「御用油」の提供であること、文中の「増田様」は代官所役人(増田雄右衛門か)であるらしいことなどに留意したい。〔箱3-384〕は、曽根村・逢坂村・王寺村・穴虫村・当麻村・中村・田井村・北花内村の「文化七年差出金返納」につき、用達から「惣代曽根村庄屋」宛てに書かれた文書である。〔箱4-30〕の茶売屋元右衛門は、代官所の御用飛脚を務める御所町の飛脚問屋である。天誅組の変後の刻付廻章〔箱3-409〕における用達については後に取り上げる。中家文書から掛屋・用達の役割、五條代官所行政との関係などを明証する文書が限られた中で、吉野の材木の口役銀と掛屋との関わりの具体相が窺えるのは大変貴重なことである。しかし、毎年の年貢上納金、荒地起返のためなど各種の貸付金、春日祭礼入用銀、大川筋入用銀、京都二條御城内入用銀、大坂城内修復竹縄藁代并鉄砲合薬御入用銀、或いは郡中入用銀などの収納事務の具体相が、ほとんど不明なままである。春日祭礼入用銀、大川筋入用銀、郡中入用銀については、「御用留」を用いて後に少し触れるが、これらは今後の研究課題である。
 中家を理解する一助として、各地の文書から摘出して掛屋・用達中屋源兵衛の文言のある史料(用語は史料上の名称のまま)を一覧にしておく。
 なお、明治新政府の世になると、中源兵衛は奈良府・奈良県の郡政御用掛や郡中御用掛に柏田久兵衛・北川五兵衛らと共に任命されるが〔箱1-26・27〕、明治三年(一八七〇)に五條県が設置されても郡中御用掛にやはり就任している。明治三年(一八七〇)には五條県の行政区画第一大区一小区の戸長(『五條市史』)、明治六年(一八七三)には奈良県の第一四大区第一戸区の戸長(岡村文書)などにも就任している。第八会議所から第一小区副戸長・戸長宛ての文書を写した御用留〔箱1-22〕が纏められた所以であろう。
【中屋源兵衛掛屋・用達一覧】
掛屋・用達名年 次典 拠
掛所源兵衛・宗八・久兵衛寛政7年
掛屋源兵衛・宗八寛政8年
御用達源兵衛・久兵衛文化2年9/
掛屋源兵衛文化13年8/~
文政5年5/
箱3-1~334
御掛所源兵衛文政6年2/『西吉野村史』
御掛所源兵衛天保4年12/
御掛所源兵衛天保5年6/
郡中御用達久兵衛・源兵衛天保13年6/箱1-49
御用達源兵衛弘化2年2/
御用達源兵衛弘化2年7/箱1-51
御用達源兵衛弘化3年10/箱3-384
御用達源兵衛嘉永2年4/
御用達久兵衛・源兵衛嘉永3年2/箱1-23
御用達源兵衛嘉永3年7/箱1-25
御用金懸改御用達藤助・源兵衛嘉永6年史料集成
御用達中屋源兵衛嘉永7年谷山
御用達源兵衛・御用金掛改御用達藤助文久3年4/史料集成
御用達中屋源兵衛文久3年9/箱3-409
御用達源兵衛慶応元年11/
御用達源兵衛慶応3年3/
御用達源兵衛・久兵衛慶応4年4/
御用金掛所中源平・宮(窪か)田佐太郎・栗山藤作明治5年8/史料集成
備 考○典拠:箱=中家文書、柏=柏田家文書、藤=藤岡家文書、北=北山家文書、東=東阿田文書、史料集成=『吉野林業史料集成』、谷山=谷山正道「近世大和における広域訴願の一形態」(『日本文化史研究』2010.3) ○中屋源兵衛も含めて複数名がいる場合は一緒に記載した。