明石市立図書館/明石 郷土の記憶デジタル版

明石の農村

清水新田地区

その他の伝承

○「モトショー」(元庄で元庄屋の屋号で、荻野本家をさし相当古く、過去帳がある)
○子供が出来たら、元気な子どもに育つようにと、生まれたら家の近くに捨てて、先にお願いしている近所の人に“拾って貰う”と元気に育つと言われて、そうした。竹内清和氏の家は向かいの澤田氏の家に頼んで拾って貰った(竹内氏談)。「拾い親」や「捨吉」の言葉が今でも残っている。
○子どもの頃、農機具も鉄製が少なく、木製の農機具もあり、田んぼや畠の作業は大変だった。
○子どもの頃、戦後すぐの頃はどの家でも牛を飼っていた。牛に草を食べさせに行くのが、夏休みの子供の仕事。
○「コーシン(庚申)さん」はイボを取るのに効き目があるのでお願いをした。お祈りは七日、七日、七日単位で、21日祈ると大体、取れた。蛸の絵を描いた五角形の絵馬に名前と生年月日、年齢を書いて祈ると、再発しなかった。魚の目にも効いた。
○子供時分の遊びは、バイ、ベッタン、ラムネ。バイ(ベーゴマ)は田んぼにたくさんあった「ドーケ」(肥え溜、肥えツボ)のコンクリートの円形の枠で擦って強くした。
○「カイボリ」は12月、「ジャコトリ」は8月に行った。いずれも、村総出で行い、太鼓の合図で池に入った。参加費が必要だったが、子どもはお金が無いので途中から大人が「もうええぞ」と言うと、池の中に入って行った。フナなんかは干物にしていた。大沢池、新池、皿池、明神池で行った。8月は本当はため池に水が満タンなので、「ジャコトリ」は出来ないが、雨が降らない時に行った。鰻、鯉、鯰などが取れた。
○池ではよく泳いだ。泳ぐだけでなく、新池や皿池で「ノーハイ」「ヨヅケ」と言って、はえ縄を仕掛けて鰻や鯰を取ったり、「ジャコトリ」の時は「ウグイ」と言う竹と網で出来た、スカートのような形の魚を掬う道具(マエガキ・前がき?)で捕った。
○池では魚だけでなく、「ハスの実」「ヒシの実」「ザリガニ」を取って食べた。
○ハッタイコやナツメ(棗)の実もよく食べた。
○夏の夕方にはショウギ(縁台)を出した。
○女の子は縄跳び、ゴム飛び、ケンケンパ、男の子と一緒にペッタンをした。ママゴト。
○実家が明石市大蔵町出身の女性は子ども時代、朝から晩まで海(大蔵海岸)で遊んでいた。終戦間際の昭和20年夏、大きな海亀が来てたくさん卵を産んで、海に帰って行ったが、卵は孵らなかった。全部、無くなっていたと言っていた。
地区の西国街道と南北道路 交差する四ツ辻
地区の西国街道と南北道路 交差する四ツ辻
上の四ツ辻の道標
上の四ツ辻の道標
大師堂全景
大師堂全景