明石市立図書館/明石 郷土の記憶デジタル版

明石の農村

鳥羽地区

昔の村の様子と子ども達の生活(昭和30年頃)

 10月14日、15日(当時は、村の慣習で日は固定されていた)は、鳥羽八幡神社の秋祭りである。秋祭りは、青年会(中学校2年生~24才)が担当する。「だんじり」の出発前、小・中学校との事前了承のもと青年会の呼び掛けによって、授業途中であっても帰ることが出来た。男の子達は朝からソワソワ、勉強に身が入らない。

昭和33年頃 井住敏彦氏提供

 当時は、国道2号線など交通量も少なかったため、祭りの祝儀(しゅうぎ)を増やす目的で、明石の旧国鉄駅前や銀座通りまで「だんじり」を引っ張って行く。青年会の人は、現地に着くと直ちに獅子を持って商店街を回り、荒神払(こうじんばら)い(厄除(やくよ)け)をしながら祝儀をもらって歩く。要領の分かっている子どもは、その後をついて行くと、おいしいものを買ってくれることを知っている。青年会の人は、もらった祝儀の中から、当時の鳥羽あたりでは食べることのできないお好み焼や玉子焼(明石焼)などをごちそうしてくれる。
 ※青年会は秋祭りが終ると、ご宴(えん)(慰労会)と称して全員で慰労会をすることが習慣となっていた。
<祭りの家庭料理> 鰯(いわし)寿司(小鰯をネタにしたにぎり寿司)、豆飯(まめめし)(枝豆)、まったけ飯、巻き寿司、すき焼きなど
昭和30年代 竹中尚子氏提供昭和33年頃 井住敏彦氏提供
昭和30年代 竹中尚子氏提供昭和33年頃 井住敏彦氏提供
昭和35年頃 井住敏彦氏提供昭和30年代 竹中尚子氏提供
昭和35年頃 井住敏彦氏提供昭和30年代 竹中尚子氏提供