明石市立図書館/明石 郷土の記憶デジタル版

明石の農村

鳥羽地区

村の成立

 『林崎村郷土誌』には、「古老云 本邑は山林荒蕪地なりしが寛文年中本村林邑 林近江守藤原行正 及 次郎太夫 助左衛門 左右衛門 喜兵衛 次郎兵衛 市兵衛 善兵衛等八戸此に移住し此所を開墾せし由」と記されている。すなわち、万治(まんじ)元年(1658)の林崎掘割完成後の寛文年間(1661~73)に、林村(現明石市林)からの移住者8名が加わり、共同で新田開発を行ったという。このことについて、『鳥羽村指出帳』には、先述の「三十三年以前開発 寛文十二子之年 新開方・・・」のあとに、次郎右衛門、次郎太夫、助右衛門、左右衛門、次郎兵衛、喜兵衛、市兵衛、善兵衛の名がある。『林崎村郷土誌』にあげられている8名の内、6名が同じで、林近江守藤原行正が次郎右衛門、助左衛門が助右衛門と異なっている。助左衛門は右と左の読み違えとすれば、1名だけ名前が異なることになる。ということは、わざと名前を変えて古老が言っているとしたのではないだろうか。この8名は、古鳥羽村から開拓が進んだ新天地に最初に移り住んだ人たちであろう。更に、この指出帳には、和坂村・小久保村・森田村などからの出作により、22町4反8畝1歩、石高140石4斗6升2合を開発したとある。このように鳥羽村は、周辺の村の人々の協力によって新田開発が進んだことがわかる。