堺市立中央図書館/堺市史

堺市史 第七巻

第二編 神社、寺院、教會誌

第二章 寺院誌

第四節 禪宗

 紅谷菴天王山と號し、【位置】三國ヶ丘町にあり、曹洞宗興聖寺末、寺格常恆會地である。【沿革】大永中堺大小路の豪商紅屋喜平草庵を結び、牡丹花肖柏池田より來つて此處に隱栖した。爾來紅屋の庵、紅庵又は紅谷庵と呼ばれるやうになつた。其後荒廢に歸し、淨土僧是得閑居してより、以來諸宗の徒交々來住したが、元和以後寺地は遂に市民金屋伊右衞門の私有に歸し、堂宇亦頗る頽廢したが、(紅谷庵緣起)安政元年泉北郡信太村蔭涼寺の住職環溪密雲、日々多數の雲衲を引率して堺附近に托鉢(環溪密雲老和尚略傳記)の際當庵の荒廢を見て之を惜み、一貫五百匁を出金して之を讓受け、自ら來住して大修繕を加へ、僧侶養成の法を講じ、遂に五十餘員の門侶を安居せしめた。櫛屋町の人土川茂平深く環溪の高風を欣慕し、大に此擧を翼けた。然るに環溪武藏世田ヶ谷豪德寺に轉住してより復遺風を繼ぐものなく、再び廢庵に歸せんとしたが、明治元年環溪山城宇治の興聖寺に昇住するに及び、茂平に謀つて再興を企て、直に本堂及び庫裏等を建立し、興聖寺末として高弟眉柏祖禪を住職たらしめ、維持の法を定めて同三年天王山紅谷庵と公稱した。(紅谷庵緣起)同五年十一月寺格を昇し、曹洞宗最高の格位常恆會地となつた。(環溪密雲老和尚略傳記)【中興開基】故に土川茂平を以て中興開基とした。(紅谷庵緣起)【本尊】本尊は十一面觀世音菩薩、傳へて菅原道眞の自作、牡丹花肖柏の念持佛であつたと稱してゐる。【堂宇】本堂、庫裏、衆寮、東司、玄關の外に鎭守堂あり、境内は百四十三坪に亙つてゐる。(社寺明細帳)【什寶】什寶に肖柏短册一幅、古溪和尚筆肖柏夢贊一幅等がある。