堺市立中央図書館/堺市史

堺市史 第七巻

第一編 人物誌

第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)

 【神南村の人】【燗鍋の鑄工】神南邊道心は俗名を彌兵衞と稱し、大和生駒郡神南村に生れ、河内布施村字東足代上田利兵衞方の鑄物師で、所謂燗鍋の鑄工であつた。性來すぐれた技倆を持ちながら素行修らず、無賴漢として世人の指彈を受けた。(神南還大道心事蹟)【發心して佛門に入る】【業績】而も其子幼にして佛門に入り、攝津東成郡只新並莊村法明寺慈眼の弟子となり、大和生駒郡龍田町字小吉田に吉田寺を再興したが、(堺史談會誌第五號)父の行蹟を慨げき、極諫して善行を勸むるに及び、一朝頓悟して遂に發心して佛門に入り、興譽仁恕隆光の法子となり、(神南邊大道心事蹟)諸國を行脚して施與を受け、岐路の紛はしき
 
 ところには標石を建て、或は橋梁を架して交通に便した。亦厚く地藏を信仰し、町内の路傍に多くの石地藏を安置した。(堺史談會誌第五號、神南邊大道心事蹟)【御盃を賜はる】【改名】京都御室山八十八箇所の標石堙滅せんとするを歎き、再建を企てゝ成り、事御室御所に聞こえ、拜謁を許されたが、高貴の前をも憚らず、胡座のまゝにて御盃を賜はり、燗鍋では文字も面白くなからうとて、神南邊と稱し、道心號を與へられ、大に面目を施した。又京都大佛炎上の際には、普く全國に行脚して、米錢の寄附を求め、或は廢れたる烟管の雁首、吸口の類等を請受けて、之を再建の資に供せんとした。(神南邊大道心事蹟)大佛殿内賓都婁尊者の木像は、其寄進したものである。(堺史談會誌第五號)【錫杖下賜】天保七年嵯峨御所より錫杖を下賜せられ、時の堺奉行よりは、念珠を寄與せられた。(指吸重喜日記)又旭蓮社の爲にも勸進し、本堂、庫裡及び屋根の總修繕をなし、二十五菩薩練供養の、假面裝束等を寄附した。【入定】天保十二年二月二十日、往日練供養に使用した、地藏尊の假面及び裝束を着け入定した。(堺史談會誌第五號、神南邊大道心事蹟)【墓所】旭蓮社境内に墳墓があり、石地藏の大座像に、神南邊大道心墳と鐫刻してゐる。其傳記には猶詳細を缺くところがあり、又幾多の異説がある。【宅址】舊宅址は車之
 
 町西二丁十七番地に當つてゐる。