京都女子大学/京都女子大学図書館所蔵 淀藩士上月家文書

大儀院様御代被仰出書集 壱
画像番号一覧 表示/非表示
      [画像96~100](翻刻)
 
<翻 刻>
 
画像画像 101
一御家中為御手当御吟味被仰付之、高
 利之借金等(ママ)無成来候、然処借用
 高相増候而者、御奉公之筋ニも可為
 難儀条、当春ニ至り口入方借用
 高之内、去暮迄五年元居致
 来候分、当年より元金を以五年
 賦被仰付候、尤割合等之儀者、口入元
 方御役人江可承合候
一右之通被仰付候得共、猶為御手当
 当春迄借用高之内五分通
 今年ゟ元居致置、利分通
 済ニ可取計之旨被仰出候、勿論
 此以後随分諸事倹約を相加、
 御世話不罷成様ニ可心掛事
 
  (改頁)
 
一御借米も有之中、自分取廻シを
 宜致、借金等不致相勤候面々具相
 達、尤之事ニ候、弥此以後右心得を以
 何分取続御奉公丈夫ニ相勤候様ニ
 可心掛候、右之趣向後御家中
 為心得申聞置候様ニ御沙汰ニ候、以上、
   酉正月
右之通、夫々書付相渡候事
 
元文六年酉正月廿八日
一左之書付御目付共江相渡、寄々
 申通候様ニ申聞之、
 
   覚
十一月朔日ゟ同月晦日迄可相納候、
 
 
画像画像 102
一高百石以上分限之人数、草鞋
 一ヶ年一度宛可相納候事、
一馬沓、高百石以上九百石取迄弐足ツゝ、
 千石以上者馬持数ニ随而、是又草
 鞋同様ニ可相納候事、
右者、京都御火消御用として御家中之
面々年々相納置候様ニ寄々可申通事、
 酉正月
 
寛保元酉年十月十二日
一左之書付御番頭塚田杢助御用部屋へ
 召呼、仲ヶ間江も申談相渡之、其外
 御者頭江も御用人之内江相渡、御小性頭
 御目付共をも召呼、夫々申談候様
 申聞候事、
 
  (改頁)
 
  惣而近来不相応成長脇差、又者
  器量ニ不相応之短キ脇差指候
  面々相見候、目立候而、当時
  上之御趣意ニ不相当候、畢竟
  自分々之得手不得手有之上、
  心掛之筋を以相用候義ニ付、急度
  御咎之義者在之間敷儀ニ候得共、
  与風存違見分を第一ニ心得
  候得者、御沙汰等在之節意却ニ
  罷成、人々不慥ニ可被思召候、先者
  刀弐尺三寸より五六寸迄、脇
  指者一尺七八寸ゟ弐尺一弐寸
  迄相用候様ニ在之度義ニ候、
  此段年若成面々可被申聞候、
 
 
画像画像 103
  勿論右ニ准、大小之拵、衣服并髪之
  風俗迄茂目立候義無之様ニ致、
  御代々御家風を相守、当時ニ而はやり
  候義を不相用義主一ニ相心得候様
  可被申伝候、以上、
   十月
 
寛保元酉年十月十五日
          御旗奉行
          御者頭共
御先手組之者共鉄炮稽古申付置
候之処、頭々頼味ニ入候ニ付、段々寄合茂
宜敷一段之事候、依之来夏より一組不
残鉄炮稽古為致、右之内五人宛
弓稽古可為被致候、指南之儀者、沖之允・
 
  (改頁)
 
軍兵衛被仰付置候、可及相談候、且又
御旗組之者とも向後心得も在之候間、
御先手同意ニ弓鉄炮稽古為致、帳前
等在之様ニ可申付候、尤御旗之者
召抱候節、旗竿を差せ器量吟
味之上召抱候様二可被心掛候、委細
年寄共可申聞候、
  江戸組之者も同様被仰付候
 
寛保元酉年十一月朔日
一左之面々壱人宛召呼、左之通申渡候、
        御番頭
        並番頭
        寄合支配
 
 
画像画像 104
        御旗奉行
        御者頭
        御持長柄奉行
        数長柄奉行
        御小性頭
        御側
        町奉行
        御勘定奉行
        同目付
        御留守居
        御目付
当年収納米を以、来年中御勝手
向相積候処、当秋者世上取沙汰と
相違、御取毛不宜、米直段
を以相考候得者、去秋満水
 
  (改頁)
 
在之節之御収納米と同様ニ
相当候、去年・当年と両年
打続御不足米過分罷成候段、
御勘定奉行共申聞候ニ付、右之通、
年々御不足ニ罷成候而者、及
後年永キ御借米被仰付候
より外無之候、左候而者
上之御趣意ニ不相当、何茂御役
相勤候面々不本意候、然上ハ
先達而御定被置候通、百石ニ
付五分通り之割合を以御
家中ゟ上米被仰付可然旨及
指図候処、去年・当年両年
本知渡被下置候ニ付、御家中末々迄
 
 
画像画像 105
甚御手当ニ相成、其上御定法茂
相立御為ニ茂宜候処、此節ニ至り
上米被仰付候ハヽ、一同新当可申候、
何とそ来春ゟ厳敷御倹約
被仰出、来暮ニ至弥御不足ニ相成候ハヽ、
割合を以上米被仰付候様仕度之
旨、御勘定奉行共再応申聞候
ニ付、則達御聴候処、御勘定奉行共
存寄一段尤被思召候、依之来
春ゟ三ツ渡り之分限之心得ヲ以何茂
相勤、人馬共了簡を加江倹約
いたし、来暮ニ至り上米被
仰出候節、不致難儀候様ニ兼而
御家中之面々江も可申聞置之旨
 
  (改頁)
 
御意ニ候、此段支配ニゟ末々迄可被
申聞候、以上、
 
寛保元酉年十一月廿一日
一左之書付両通、御番頭仲ケ間并
 相組々江通達在之様ニと、新兵衛ゟ
 御番頭塚田杢助迄以手紙差
 遣之候、
   覚
一弐百石以上格式有之面々、後地廻り
 鑓為持候義勝手次第ニ被仰出候、
 此段可被相心得候、
一三百石取之面々、来戌年ゟ役
 馬所持之筈被仰出置候得共、
 来年中三ツ渡りを以随分倹約
 
 
      [画像106~110](翻刻)