浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

史資料

井伊家伝記

小野但馬守の讒言と井伊直親の死

 
  (井伊家伝記 上 画像20 右四行目)
 
小野但馬讒言委細之事付井伊肥後守傷害之事
一小野但馬父小野和泉守肥後守直親公実父彦次郎直満
を傷害為致候宿意にて主従共父と父と之遺恨相残り
平日君臣之間不宜因茲直盛傷害之後井伊谷を押
領可致隠謀兼而巧ミ申候得共中野信濃守井伊谷を
預り居被申候故見合申候折柄直親折々三州岡崎
権現様江往来内通被成其上井伊谷山中江鹿狩ニかこつ
け御人数被遣候直親領分之中山中村々共鹿狩之案
内被成候故永緑五年壬戌之極月小野但馬急ニ駿府江
罷下今川氏真江讒言申候ハ肥後守直親ハ 家康公信長
両人江内通一味同心仕候近日遠州発向之為に先勢
之人数被遣候追々大勢参候風説夥敷候遠州ハ信長
家康公両人之手に入り可申と委細ニ訴申候故今川氏真大
驚き早々出馬直親公を糺明相攻可申由にて遠州
掛川城主朝比奈備中守ニ先手被申付候依之直親陣附
之為に新野左馬助を駿府江被遣候跡より直親公御越被成候所
掛川御通之節朝比奈備中守取囲一戦ニ及直親主従共
雖尽粉骨無勢故終ニ傷害被成候直親公死骸一国之
 
  (井伊家伝記 上 画像21)
 
中故南渓和尚僧衆被遣引取於龍潭寺焼香被成候
永禄五年壬戌十二月十四日也法名大藤寺殿前肥州太守
剣峯宗慧大居士右大藤寺と申候ハ龍潭寺末寺ニ而御
朱印四石五斗御朱印一本なり