浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

合併旧町村史

浜松市 合併町村史

浜北市史 通史 上巻

浜北市史 通史 上巻

『浜北市史 通史 上巻』

 浜北市 平成元年



 
  総説   第一章  第二章  第三章  第四章  第五章  第六章
  第七章  第八章  第九章  第十章  第十一章 終章
 


目 次■■ ページ  画像 
序   市長 足立誠一■■■■
発刊によせて   市議会議長 三宅敏男■■■■
発刊にあたって   市教育長 池谷 豊■■■■
凡例■■■■
口絵■■■■
  
目次■■■■
総説 浜北の自然と土地利用■■1
■■第一節 浜北市の位置■■3
■■■■1 地理的位置からみた浜北市■■3
■■■■2 関係位置から見た浜北市■■6
■■第二節 自然環境と人々のなりあい■■9
■■■■1 浜北市の自然環境■■9
■■■■■■地形・地質・土壌■■9
■■■■■■■■①北部の山地および丘陵■■15
■■■■■■■■②三方原(三方ヶ原)台地■■17
■■■■■■■■③その他の河岸段丘■■18
■■■■■■■■④天龍川低地■■19
■■■■■■黒ボクについて■■20
■■■■■■気候■■22
■■■■■■動物・植物■■28
■■■■2 自然を活かした産業■■31
■■第三節 行政区画と人口■■35
■■■■1 行政区画の変遷■■35
■■■■2 人口の分布の特色とその変化■■37
■■第四節 土地利用の特色と地域変容■■47
■■■■1 土地利用の地区別特色■■47
■■■■2 都市化の進展と農業の変容■■57
■■■■3 都市化から見た地域区分■■75
■■■■■■①都市化の進行度合と農業の担い手の割合■■76
■■■■■■②農業の担い手と商品生産規模による地域区分■■80
■■■■4 各地区の事例■■84
■■■■■■①中瀬五区の事例■■86
■■■■■■②道本の事例■■89
■■■■■■③寺島南・北の事例■■91
■■■■■■④梔池の事例■■95
  
第一章 浜北人と芝本・東原遺跡■■99
■■第一節 浜北人の発見■■101
■■■■1 浜北人の発見と根堅遺跡■■101
■■■■■■浜北人の発見■■101
■■■■■■根堅遺跡■■103
■■■■■■浜北人の特徴■■108
■■■■■■浜北人の年代決定■■110
■■■■2 旧石器時代の人々のくらし■■119
■■■■■■浜北人と天龍川下流域大地の旧石器時代遺跡群■■119
■■■■■■旧石器時代の食料■■121
■■■■■■浜北人の一年の生活と集団領域■■127
■■第二節 狩猟・採集・漁撈のくらし■■132
■■■■1 天龍川平野の縄文遺跡■■132
■■■■■■縄文時代の時期区分■■133
■■■■■■磐田原台地の遺跡■■135
■■■■■■三方原台地の遺跡■■135
■■■■■■阿多古川流域の遺跡■■136
■■■■2 浜北の縄文遺跡■■137
■■■■■■草創期・早期・前期■■137
■■■■■■中期■■137
■■■■■■後・晩期■■141
■■■■3 縄文土器と石器が語る人々のくらし■■143
■■■■■■縄文土器■■143
■■■■■■製作法■■144
■■■■■■土器編年■■147
■■■■■■石器■■147
■■■■■■生活■■149
■■■■■■墓制■■154
■■■■■■マツリ■■155
■■■■■■縄文時代のおわりに■■155
■■第三節 稲作農耕と「むら」のはじまり■■157
■■■■1 弥生文化が伝わる■■157
■■■■■■浜北市域での稲作農耕文化の幕あけ■■159
■■■■■■天龍川水系における稲作農耕の導入■■160
■■■■■■稲作農耕集落の定着■■164
■■■■2 天龍川平野での弥生時代遺跡群■■165
■■■■■■天龍川平野の弥生時代遺跡群形成■■165
■■■■■■芝本・東原遺跡群の成立■■170
■■■■■■浜北市内のその他の遺跡■■172
■■■■3 芝本・東原遺跡に見るむらの姿と人々の生活■■176
■■■■■■芝本・東原遺跡のむらのようす■■176
■■■■■■水田経営と木製農具の発達■■193
■■■■■■弥生土器の地域色と集落間の交流■■216
■■■■■■まつりと墓■■225
■■■■■■弥生時代の終焉と首長権の確立■■239
  
第二章 赤門上古墳と古墳文化■■241
■■第一節 古墳と豪族■■243
■■■■1 古墳と古墳時代■■243
■■■■■■古墳と墳墓■■243
■■■■■■王墓の姿■■246
■■■■■■古墳の種類と副葬品■■252
■■■■■■横穴式石室の流入■■258
■■■■■■群集墳■■265
■■■■2 浜北市周辺の古墳■■267
■■■■■■浜名湖、都田川流域の古墳■■268
■■■■■■天龍川流域の古墳(西)■■271
■■■■■■天龍川流域の古墳(東)■■280
■■第二節 浜北市の古墳■■289
■■■■1 赤門上古墳と内野古墳群■■289
■■■■■■市内の考古学的調査■■289
■■■■■■内野古墳群■■296
■■■■■■内野二本谷積石塚古墳(第一次、昭和二九年調査)■■304
■■■■■■内野二本谷積石塚古墳(第二次、昭和三二年調査)■■308
■■■■■■内野観音ツブラ古墳■■310
■■■■■■内野神明社上古墳群■■312
■■■■■■内野権現平山古墳群■■318
■■■■2 内野古墳群の二、三の問題■■327
■■■■■■墳丘築成■■327
■■■■■■周礫帯■■328
■■■■■■古墳祭祀■■329
■■■■■■内野古墳群の成立過程■■332
■■■■3 渡来人と積石塚古墳■■333
■■■■■■積石塚古墳とその分布■■334
■■■■■■浜北市内野積石塚古墳の発見■■336
■■■■■■積石塚古墳の立地■■338
■■■■■■積石塚古墳と渡来人■■341
■■■■4 横穴式石室と浜北市北麓古墳群■■348
■■■■■■北麓古墳群■■349
■■■■■■宮口興覚寺後古墳■■355
■■■■■■高根山古墳■■362
■■■■■■雲岩寺人形山第一号墳■■365
■■■■■■雲岩寺人形山第三号墳■■365
■■■■■■根堅将軍塚古墳■■367
■■■■■■根堅向野古墳■■368
■■■■■■根堅スズミの御所古墳■■369
■■■■■■於呂、於呂神社内古墳■■373
■■■■■■於呂、於呂神社西古墳■■375
■■■■■■於呂、西山一号墳■■375
■■■■■■北麓古墳群のなかの木棺直葬墳■■378
■■■■■■横穴式石室の登場■■380
■■■■5 新原古墳群■■384
■■■■6 東原のむら人たち■■388
■■■■■■天龍川右岸の土師遺跡■■388
■■■■■■東原の土師住居■■392
■■■■■■東原遺跡D地点第一号住居址■■393
■■■■■■東原遺跡D地点第二号住居址■■396
■■■■■■東原遺跡D地点第三号住居址■■396
■■■■■■遺跡と黒ボク土■■401
■■■■■■東原の人々の生活■■403
■■■■■■首長の居館■■412
■■■■■■むら人と祀り■■416
■■■■7 その他の土師遺跡■■420
■■第三節 「トホツアウミノクニ」と大和王権■■421
■■■■1 遠江地方の大和王権への服属■■421
■■■■■■大王家の東国支配■■421
■■■■■■赤門上古墳と葛城氏■■425
■■■■2 大化前代の遠淡海国と宮口■■429
■■■■■■氏姓制度と国造の任命■■429
■■■■■■遠江の国造と遠淡海の国■■431
■■■■■■屯倉の設置と宮口■■436
  
第三章 天宝堤と岩水寺■■439
■■第一節 天宝堤と「あらたまの伎倍」■■441
■■■■1 大化の改新とふるさとの村々■■441
■■■■■■大化の改新と東国■■441
■■■■■■遠江国の成立と麁玉郡■■443
■■■■■■ふるさとの村々■■449
■■■■2 天宝堤と村人のくらし■■453
■■■■■■天龍川氾濫の古記録と天宝堤■■453
■■■■■■伊場木簡と村人たちのくらし■■457
■■■■■■古代交通路と麁玉郡家の伝馬■■460
■■■■■■軍団と兵士たちの辛苦■■464
■■■■■■条里制と国土の開発■■467
■■■■3 「あらたまの伎倍」と若倭部身麻呂■■470
■■■■■■万葉集に歌われた「あらたま」■■470
■■■■■■防人若倭部身麻呂の悲哀■■476
■■第二節 式内社於呂神社と岩水寺創建のころ■■479
■■■■1 於呂神社と式内社■■479
■■■■■■村と神■■479
■■■■■■式内社と静岡県■■481
■■■■■■郷土の式内社■■484
■■■■2 岩水寺創建と坂上田村麻呂伝説■■490
■■■■■■岩水寺創建と行基開創伝承■■490
■■■■■■平安時代の岩水寺■■494
■■■■■■坂上田村麻呂伝説の虚実■■497
■■第三節 灰釉陶器をつくる人々■■501
■■■■1 遺跡に見る奈良~平安時代のむら■■501
■■■■2 宮口古窯跡郡と瓦、陶器の流通■■510
  
第四章 美薗御厨と大平城■■533
■■第一節 遠江守護安田義定と鎌倉武士■■535
■■■■1 源平争乱と浜北市域■■535
■■■■2 安田義定が遠江守護になる■■537
■■■■3 遠江の鎌倉武士■■540
■■第二節 美薗御厨の盛衰と神明宮■■545
■■■■1 伊勢神宮の御厨■■545
■■■■2 美薗御厨■■551
■■■■3 「荘園の松」と神明宮の分布■■555
■■■■4 国衙領だった高薗郷■■559
■■■■5 実在したか赤狭荘■■561
■■■■6 河道の変遷■■566
■■第三節 宗良親王と大平城■■573
■■■■1 四期に分かれる南北朝時代■■573
■■■■2 宗良親王の遠江入り■■576
■■■■3 大平城の戦い■■582
■■■■4 その後の宗良親王■■587
■■■■5 大平城の構造■■591
■■第四節 足利尊氏と遠江国宮口郷■■598
■■■■1 花山院兼信と内野郷■■598
■■■■2 足利尊氏の寄進状■■601
■■■■3 遠江守護となった今川範国■■604
■■■■4 室町期の遠江守護■■610
■■■■5 在地領主赤佐氏■■613
■■第五節 信仰に生きる人びと■■616
■■■■1 伸びる禅宗の教線■■616
■■■■2 洞巌玄鑑の雲巌寺開創■■620
■■■■3 汝霖良佐と学園寺■■623
■■■■4 子安信仰と岩水寺■■629
■■■■5 伊勢信仰と熊野信仰■■630
■■■■6 山王信仰と秋葉信仰■■634
  
第五章 戦国期の浜北と徳川家康■■641
■■第一節 「屋敷」の分布と歴史の道■■643
■■■■1 地名に歴史を読む■■643
■■■■2 歴史の道をさぐる■■650
■■■■3 中世墳墓の諸相■■657
■■■■4 高薗郷の新善光寺はどこにあったか■■668
■■■■5 浜北の鋳物師赤佐氏■■669
■■第二節 戦国大名今川氏の支配■■674
■■■■1 今川氏の遠江進出■■674
■■■■2 今川氏親と学園寺■■680
■■■■3 宮口を領有した井伊朝光■■690
■■■■4 今川氏真と赤佐郷・高薗郷・美薗郷■■696
■■■■5 「遠州忿劇」と浜北市域■■702
■■第三節 武田信玄の遠江進出と浜北市域■■709
■■■■1 今川氏を滅ぼした武田信玄■■709
■■■■2 武田軍の遠江侵攻と岩水寺の炎上■■715
■■■■3 美薗・小野・宮口・赤佐を領した奥山吉兼■■718
■■第四節 三方ヶ原の戦いと浜北市域■■728
■■■■1 徳川家康の遠江進出■■728
■■■■2 高薗領主浅原主殿助■■737
■■■■3 武田軍の進路■■742
■■■■4 三方ヶ原の戦い■■753
■■第五節 徳川家康の五ヵ国支配■■760
■■■■1 五ヵ国の大名となった家康■■760
■■■■2 柴本村に家康の七ヵ条定書■■765
■■■■3 五ヵ国総検地の施行■■770
■■■■4 武田・後北条氏遺臣の土着■■779
  
第六章 浜松藩と旗本釆地の村々■■781
■■第一節 浜松藩と旗本五近藤■■783
■■■■1 堀尾吉晴と浜北の村々■■783
■■■■2 高薗の彦次郎の居屋敷安堵■■786
■■■■3 浜松藩領と浜北の村々■■789
■■■■4 幕府直轄領と青山忠俊■■792
■■■■5 近藤秀用と浜北■■796
■■■■6 旗本五近藤の成立■■798
■■第二節 辰の御縄と寛文・延宝の検地■■805
■■■■1 太閤検地と浜北の村々■■805
■■■■2 慶長十六年沼村等の検地■■807
■■■■3 寛文・延宝の新田検地■■810
■■■■4 沼新田村の検地■■816
■■第三節 天龍川流域村々の年貢の動向■■819
■■■■1 上島・永島村の初期年貢■■819
■■■■2 上島・蠟燭島・永島村の年貢の増減■■822
■■■■3 年貢の村請と慶安御触書■■826
■■■■4 木船村五助の年貢拒否■■829
■■第四節 三方原・観音山の入会地■■835
■■■■1 宮口村と三方原■■835
■■■■2 雲岩寺村の〝西之草山〟■■838
■■■■3 堀谷・大平・灰木三か村と観音山■■841
■■■■4 雲岩寺村三昧所と宗教統制■■844
  
第七章 彦助堤の築堤とあばれ天龍■■849
■■第一節 小天龍と彦助堤の築堤■■851
■■■■1 彦助築留と本沢村境杭■■851
■■■■2 彦助堤築堤の大工事■■857
■■■■3 大堤の延長と本沢村絵図■■861
■■■■4 堤の修復と上善地の堤■■864
■■第二節 小天龍流域村の百姓林と屋敷林■■867
■■■■1 本沢村の諸階層と西美薗村屋敷林■■867
■■■■2 中条村の百姓林と屋敷林■■870
■■■■3 中条村の家族の形態■■873
■■■■4 中条村民の結婚と出産■■876
■■■■5 上善地村の諸階層と馬所有■■882
■■第三節 国領組の浜北の村々■■885
■■■■1 耕地の流亡と無取の村■■886
■■■■2 国領組の浜北の村々■■890
■■■■3 油一色村と永島村の境争い■■894
■■■■4 中条村の溜池と平口の堰■■897
■■■■5 畑方村々の麦・大豆・たばこ■■902
■■■■6 木綿栽培と機織り■■906
■■第四節 助郷と課役■■913
■■■■1 見付宿大助郷と市野宿助馬村■■913
■■■■2 朝鮮使節と天龍川船橋役■■917
■■■■3 朝鮮使節と饗応課役■■920
■■■■4 天龍川舟運と流域の村々■■924
■■第五節 村方騒動と庄屋の糾弾■■929
■■■■1 木船新田太右衛門罷免の訴願■■929
■■■■2 太右衛門の罷免と後任の後見■■932
■■■■3 永島村九兵衛の横暴と藩の立場■■935
■■■■4 中条村惣百姓の庄屋忌避■■939
■■■■5 中条村嘉兵衛の反論の特徴■■943
■■■■6 安楽寺の牌座をめぐる争い■■945
  
第八章 遠州木綿の生産の発展■■949
■■第一節 勝手方賄役と旗本財政■■951
■■■■1 浜松藩と村々の月並出金■■951
■■■■2 上善地と八幡の係争■■955
■■■■3 永島村庄屋の横暴糾弾■■960
■■■■4 平野家・袴田家と御勝手賄役■■962
■■■■5 平野家と米会所仲間■■966
■■■■6 横田茂兵衛と谷高七兵衛■■969
■■第二節 笠井村の打ちこわしと大念仏■■974
■■■■1 小野・宮口・柴本の打ちこわし■■974
■■■■2 笠井村の打ちこわし■■978
■■■■3 打ちこわし参加村の過料と獄死者■■982
■■■■4 遠州大念仏と若者組■■985
■■■■5 長泉寺薬師堂の再建と祭礼■■989
■■■■6 岩水寺星祭りと明心寺の大鐘■■993
■■第三節 浜北の木綿の全国流通■■1001
■■■■1 和泉屋(木俣家)の「永代帳」■■1001
■■■■2 木綿取引の農民と仲買人■■1005
■■■■3 大坂天満商人の繰綿積付け■■1008
■■■■4 中安家の木綿取引の大福帳■■1010
■■■■5 川西村々の新規横越渡船■■1015
  
第九章 天保の飢饉と村々の動向■■1019
■■第一節 天龍川水防組合と天保飢饉■■1021
■■■■1 西美薗村の普請課役■■1021
■■■■2 天龍川西側水防組合の成立■■1025
■■■■3 米相場高値と直訴の未遂■■1029
■■■■4 天保の飢饉と夫食の拝借■■1034
■■■■5 勧農と宮口村留水順番帳■■1038
■■第二節 旗本の困窮と財政改革■■1045
■■■■1 弘化三年浜松藩領の一揆■■1045
■■■■2 横田家の旗本への金融■■1048
■■■■3 旗本井伊谷近藤氏の財政改革■■1056
■■■■4 木船新田平野家の金融活動■■1063
■■第三節 大洪水・大地震と村々■■1068
■■■■1 天龍川大洪水と難渋者■■1068
■■■■2 嘉永七年の大地震■■1072
■■■■3 将軍上洛と助郷負担■■1080
  
第十章 文化の興隆■■1085
■■第一節 渡来僧独湛や方広寺派の活動■■1087
■■■■1 渡来僧独湛の教化■■1087
■■■■■■初山宝林寺独湛と近藤貞用■■1087
■■■■■■独湛の念仏■■1092
■■■■■■憑依と臨終■■1097
■■■■■■法源と檀越たち■■1101
■■■■2 方広寺派寺院の創出■■1109
■■■■3 庚申信仰と縁起の成立■■1115
■■■■4 庚申寺住僧の好学■■1125
■■■■■■庚申寺蔵書■■1126
■■■■■■手沢本の授受■■1127
■■■■■■読書記事■■1130
■■■■■■寛道和尚■■1130
■■■■■■明巖和尚■■1133
■■■■■■圭洲和尚■■1139
■■第二節 俳諧・学問への開眼■■1143
■■■■1 遠江の俳諧連歌■■1143
■■■■2 『俄雨』と浜北の俳人■■1146
■■■■3 袴田秋戸・南素兄弟■■1151
■■■■4 南素の俳諧活動■■1155
■■■■5 南素と『みつの春』■■1171
■■■■6 俳人とその結社■■1196
■■■■7 中瀬村大城清左衛門と加茂眞淵■■1206
■■■■8 渡辺蒙庵の国領十二景詩■■1218
■■第三節 医業と寺子屋■■1224
■■■■1 高部・村尾両家の医業■■1224
■■■■■■高部・村尾家の系譜■■1224
■■■■■■村尾薫節・村尾留節の医業■■1228
■■■■■■村尾留器の医業■■1234
■■■■■■『三省録』の精神■■1237
■■■■■■『三省録』の内容■■1242
■■■■■■村尾多聞の医業■■1248
■■■■2 寺子屋教育■■1253
■■■■■■慶安元年の高林忠勝■■1253
■■■■■■幕末維新期の寺子屋■■1257
■■■■■■上善地村松島家の場合■■1258
■■■■■■寺島村中安家の場合■■1262
■■■■■■手本の分析■■1264
■■■■3 数学者藤川春龍と『追遠発矇』■■1275
  
第十一章 村びとの生活■■1283
■■第一節 巡礼の盛行■■1285
■■■■1 「遠江三十三所巡礼記」■■1285
■■■■2 遠江三十三札所とその成立■■1291
■■■■3 袖ヶ浦三十三観音霊場の成立■■1304
■■■■4 宮口三十三札所■■1324
■■■■■■宮口三十三札所■■1324
■■■■■■陽泰院の三十三観音■■1330
■■■■5 巡礼の文化の風土■■1333
■■第二節 村びとのたのしみ■■1337
■■■■1 貸本家の魅力■■1337
■■■■■■芝居空間■■1337
■■■■■■貸本屋中村市左衛門■■1338
■■■■■■経営■■1341
■■■■■■顧客■■1349
■■■■2 武術の大衆化■■1356
  
終章 近代の足音■■1365
■■第一節 「記録」おかけ由来記■■1367
■■第二節 遠江地方の御札降りと浜北の御札降り■■1383
■■■■1 東海道新居宿の場合■■1383
■■■■2 姫街道気賀宿周辺地域の場合■■1386
■■■■3 「札降り」は、ハヤリ神ノナスワザ■■1393
  
編集後記   監修者 若林淳之■■1399
浜北市史編さん関係者名簿■■1403