浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 五

第三章 産業と文化の調和した都市へ

第五節 産業・経済

第三項 地域工業の変容と先端技術化

光産業の発展

光電子増倍管 浜松ホトニクス
 昭和二十八年に創立し、光電子増倍管の分野では世界のトップメーカーに成長した浜松テレビは、昭和五十八年四月、社名を浜松ホトニクスに変更した。新社名は光子工学の英語「ホトニクス」から採用された。浜松ホトニクスは当初国内での知名度は低く、むしろアメリカやヨーロッパでの評価が先行し、今日の地位を築いたと言える。昭和三十年代後半、矢継ぎ早に光関連製品を開発した。カメラ露出計などに使われる光半導体素子やコンピュータと接続して画像計測を行うコンピュータ用ビジコンカメラなどで、いずれも欧米でのニーズから生まれた製品であった。浜松ホトニクスを世界的企業に成長させた基礎は、欧米におけるビジネスショーへの参加とアメリカにおけるベンチャーキャピタル(投資会社)の支援があったからだと言われている。開発製品の発表の場であるビジネスショーに参加することは販路の拡大と会社の知名度を上げることに役立った。また、研究開発を続けていく上での投資資金はアメリカの投資会社から支援を受けることが出来た。昭和四十四年、アメリカに基盤を置いた同社はその拠点として「ハママツコーポレーション」を設立した。昭和四十八年には、西ドイツに「ハママツ・テレビジョン・ヨーロッパ」を設立し、ヨーロッパ進出の拠点となった。
 同社製品の売上比率(昭和五十八年現在)を見ると、光電管と光電子増倍管が最も多く全体の五十%を占め、光半導体受光素子が二十%、計測用ビジコン装置、光源がそれぞれ十五%を占めている。主力の光電子増倍管は日立や東芝が撤退したため独占状態になった。世界市場でもオランダのフィリップス社、アメリカのRCA社、イギリスのEMI社を抑え、世界の四十%強のシェアを誇っていた。
 研究開発型企業である浜松ホトニクスは、次々に新製品を開発・商品化していった。昭和五十五年には、新型CdSフォトカプラを開発し、小型化、低価格化、低雑音を実現した。この製品はマイクロ・コンピュータを組み込んだ家庭用弱電機器、レジャー用機器、自動販売機などに広く利用できる汎用部品として、需要が見込まれる製品である。昭和五十六年、MCP(マイクロ・チャンネル・プレート)を内蔵した画像増強装置(イメージインテンシファイア管)を商品化した。この装置は夜間監視など暗い所で物を見るための装置の根幹を成す部品である。浜松ホトニクスが開発した装置は光の増強度が二万~四万倍もあり、天体観察、動植物の夜間観察、保安・監視、船舶の夜間航行用、レントゲン、など多方面にわたる暗視装置の部品として利用できる。さらに昭和五十八年には、従来の光学顕微鏡の性能を飛躍的に高める新しいテレビ受像システムを開発した。このシステムは電子顕微鏡では不可能だった細胞を生きた状態でテレビに映し出すことができ、しかも従来の画像に比べ十六倍もの鮮明度を可能にした。