浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 五

第三章 産業と文化の調和した都市へ

第四節 宗教・倫理

第一項 宗教教団の新築・増築・再建

施設の刷新

 歴史的に長く日本人を鎧(よろ)ってきた「衣食足りて礼節(栄辱)を知る」という中国の思想が、伏流水の如く人心を潤し、経済最優先ではない新しい豊かさに目を向けるようになる時、その一つの契機が宗教心に発する宗教施設再建への意欲であろうか。太平洋戦争の戦火をくぐり抜け、戦後社会を生き抜いてきた年代の人々が手繰り寄せた拠り所、その衣食住の延長先にあるのが、先祖供養の宗教施設であり、安心立命の地点として求められたことになろう。
 昭和三十年代の高度経済成長期を経て、昭和四十八年十月の石油危機も乗り越え、昭和五十年代後半には経済回復を果たしたものの、この結果が超低金利と金余りのために巨額の資金が土地と株売買に流れ、地価と株価の異常高騰を招いて、いわゆるバブル経済が到来した。この状況下で各教団は大小様々な建築事業を起こしている。
 先には日本経済の右肩上がりに向かう時期を背景に、寺院の社会的活動、教化活動の一斑を述べたが、その際に特に言及したのは浜松市の都市計画遂行過程で必然化した齢松寺移設という大事業、鴨江寺における国際交流を背景にした建部快雲住職の国際交流の理念と行動を示す伽藍(がらん)や会館の増築であった。
 以下では『静岡新聞』などの記事に見える神社・寺院・キリスト教団の施設の再建や増築・補修等について、管見の限りではあるが、掲載時期、宗教団体名(宗派等・所在地)について、これを拾い列記することにする。
 
(1)神社の場合
蒲神明宮
 昭和三十五年三月十六日付で蒲神明宮(神立(こうだち)町)の遷宮のための用材として、伊勢神宮から二十本(三十一石)の杉材が到着したと報道された(遷宮は十月二十二日)。
 
五社神社
 昭和三十五年十月二十日付記事、および同年十二月四日付記事などによれば、昭和三十五年着手の五社神社(利町(とぎまち))拝殿の復旧工事は、その年の十二月に落成した。社務所は昭和五十年一月に完成。設計施工は頭陀寺町の鈴木忠男技師。総檜造りの本殿は昭和三十八年着工、同五十七年秋に完成し、十月に遷座祭執行。鉄筋コンクリート造りの拝殿は同五十二年着工されており、同五十七年完成。
 昭和五十四年七月十六日付記事では、八柱神社(入野町)再建のための取り壊し、同五十五年七月十五日付記事では七月十四日に完成したことを報じている。
 
県居神社
 昭和五十二年二月十四日付記事によれば、賀茂真淵を祀る県居神社は戦後の建物で、氏子の居ない神社本殿・拝殿が荒廃していた。これより先の昭和四十三年に、真淵二百年祭を期して有志による奉賛会がつくられたものの、消滅している。その復興が望まれている気運を『静岡新聞』は伝えている。この結果が、同五十八年十月二十一日付記事にある県居神社(東伊場一丁目)の上棟式であった。総檜造りの本殿と拝殿、社務所・水屋・渡り廊下の五棟、同五十九年四月に遷座祭が執行された。

図3-22 復興なった県居神社

 昭和五十九年五月十八日付記事、春日神社(笠井町)の遷座祭(五月二十日)。昭和五十九年十月十三日付記事、八幡宮(大人見町)新社殿完成(十月十二日)。
 
(2)寺院の場合
 昭和四十八年三月三十一日付記事では、光禅寺(臨済宗方広寺派大蒲町)の大日堂は、浜松市文化財彫刻指定第一号である大日如来座像を安置する建造物であるが、この藤原時代前期の一木造りの大日如来座像は京都で修復完成し、新築なった収蔵庫に安置。光褝寺大日如来座像は「平安時代末期にこの地が伊勢神宮の神領蒲御厨と定められた」(『神道史大辞典』)が、その御厨の旧地、「蒲二十四郷」の守り本尊というのが住民の認識である。
 
西来院
 昭和五十三年十月二日付記事では、西来院(曹洞宗広沢二丁目)築山御前廟「月窟」が復元され、十月一日の落慶式法要が営まれたことを報じている。舘山寺(曹洞宗舘山寺町)の庫裡は昭和四十九年の七夕豪雨の際の裏山崩落に伴うガスボンベの出火から火災焼失した。昭和五十一年一月に鉄筋三階建て建築が完成した。最上階が鐘楼で釣り鐘は昭和五十三年十二月十五日、落慶法要があった。
 昭和五十四年七月三十日付記事では、都田町中津地区の薬師堂改築と薬師如来像修復の完成による、遷座式と入仏式の執行(七月二十九日)があったことを報じている。同年九月二十日付記事では、二十四日に鴨江寺(高野真言宗・鴨江四丁目)成田山不動堂と南門、八角堂の建立、落慶式法要の執行があることを報じている。同年十一月二十二日付記事では、二十一日に安泉寺(臨済宗方広寺派米津町)で江戸送り地蔵堂の上棟式、同五十五年三月二十四日付記事では二十三日に落慶式法要が執行されたことを報じている。
 昭和五十五年十一月四日付記事では、法盛院(曹洞宗早出町)が十一月三日に本堂建て替えの落慶式と結制上堂の式典を執行したと報じている。昭和五十六年一月十九日付記事では、少林寺(臨済宗方広寺派・高林町)観音堂の戦災後の復活と屋外大観音像(銅像)建立による落慶式の法要が執行されたことを報じている。
 昭和五十七年五月二十九日付記事では、豊町倉中瀬地区の天竜川岸の砂利採取場で聖観世音菩薩と馬頭観世音菩薩二体が発見され、蔵泉寺(曹洞宗豊町)地蔵堂に安置されたことを報じている。
 昭和五十九年一月十三日付記事では、薬師堂(早出町)の再建と戦後に盗難に遭った本尊に替わって、再び本尊の薬師如来を安置し、落慶式の法要が執行されたことを報じている。昭和五十九年二月二十四日付記事では、仙林寺(曹洞宗野口町)本尊の虚空蔵菩薩座像(寄せ木造り)の修復中に胎内仏(虚空蔵菩薩胸像)が発見されたことが報じられた。これは江戸初期の作と見られ、浜松地区の胎内仏の発見例は少なく、浜松市文化財指定を申請すると報じられたが、指定されなかった。昭和五十九年二月二十七日付記事では、少林寺(臨済宗方広寺派・高林町)の本堂増築工事が完成したことと、これに併せて檀徒の高林俳句会から句碑十四基が奉納され、法要の執行があったと報じている。昭和五十九年五月十三日付記事では、松林寺(臨済宗方広寺派中野町)客殿完成の落慶式法要と、松林寺を正中元年(一三二四)に開創した無門元選禅師の開山六百年忌の報恩法要を執行(十三日)されたと報じられている。昭和五十九年十一月十六日付記事では、椿姫観音堂(元浜町)の修復落成式が執行されたと報じている。
 
天林寺
 昭和六十一年十月五日付記事では、天林寺(曹洞宗下池川町)本堂新築の落慶式法要が執行されたことを報じている。戦災焼失したものを同五十九年十月から建設着手し、同六十一年一月に鉄筋コンクリート造り、地下に座禅堂を設営して完成した。総工費は約六億八千万円。
 
龍禅寺
 昭和六十二年十月二十六日付記事では、龍禅寺(高野真言宗龍禅寺町)本堂・位牌堂兼客殿・庫裡・山門の新築の落慶式法要が執行されたことを報じている。九世紀の建立以後、焼失・廃絶・復興の歴史的経過を経て、太平洋戦争で戦災焼失。昭和六十年十一月の檀徒総会で再建を決定し、総事業費四億七千万円で完成した。同六十二年十月二十五日落慶法要が執行された。
 昭和六十三年二月四日付記事では、安養寺(曹洞宗市野町)身代わり不動尊の復元修復がなされ、同年二月三日に開眼(かいげん)供養式が執行されたと報じられている。 

図3-23 新しくなった龍禅寺の本堂

 
(3)キリスト教団の教会の場合
遠州栄光教会
 昭和五十九年六月十九日付記事では、遠州栄光教会(日本基督教団・住吉二丁目)新礼拝堂の完成を報じている。三方原町、紺屋町の礼拝堂に続く礼拝堂の建設となったわけである。この礼拝堂は音響効果が抜群の音楽堂でもあり、市民に施設を開放するという。なお、この教会建築は浜松市都市景観賞を受賞した(平成元年三月八日付記事)。
 
浜松教会
 昭和五十九年十一月十八日付記事では、浜松教会(日本基督教団・高町)の全面改築工事が完了し、昭和五十九年十一月十八日に献堂式を執行すると報じている。これは明治十七年に創設された教会の太平洋戦争時の戦災焼失と、再建後の教会堂の老朽化を克服し一新するための百周年記念事業である。総工費約一億二千五百万円の鉄筋コンクリート造りで、小型パイプオルガンが設置された礼拝堂は音楽堂や子供たちの日曜学校としても利用し、市民の教会を目指すという。

図3-24 浜松教会の会堂・教育館・牧師館