浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 四

第二章 復興への努力と民主主義

第九節 文学・文化

第五項 美術と工芸

復活した工芸

松山鐵男
 浜松の木櫛は、幕臣であった松山助義が江戸から浜松に移り住む際、木櫛作りの技法を習得し、明治維新後の内職に始めたのが起こりで、創業は明治二年のことである。当時、松山家は「櫛山」の屋号を名乗り、浜松で唯一の櫛屋だったという。この櫛作りの技術は、二代目(松山為)、三代目(松山鐵男)と受け継がれ戦後に至っている。つげ櫛の需要は、終戦後間もないころまでは多かったが次第に減少した。三代目鐵男は、製品を作る傍ら、内外の遺跡から出土する古代櫛や、古い神社仏閣、博物館などに保存・収蔵されている昔の櫛の復元にも力を注いだ。巧緻(こうち)な技術に支えられ、見事な機能的造形美を備えた浜松木櫛は、全国でも唯一の手作り櫛と言われる。松山鐵男木櫛手作り技術は昭和五十二年、浜松市の無形文化財に指定され、平成二年には、静岡県知事から静岡県郷土工芸品にも指定されている。平成十七年、鐵男は九十六歳にて死去。自分の活動を芸術と呼ばれることを嫌い、最後まで一職人としての生涯を貫いたという。