浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 四

第二章 復興への努力と民主主義

第八節 医療・厚生

第一項 敗戦前後の医療・厚生体制

病院再興と新設

 他方、紛らわしい名称であるが、市内中沢町に「浜松診療所」があったことが、『浜松市戦災史資料』四に記載されている。すなわち、「衛生・医療関係」の章に、「罹災診療所」、「一、診療機関、二、産婆・看護婦、三、救療施設と保健施設、四、浜松市健民修練所」の項目があって、その「三、救療施設と保健施設」の小項目として、市立浜松病院浜松診療所、浜松市健民館の三診療所の戦災状況が述べられている。
 この「浜松診療所」には、「中沢町に設置されて居り一六名の職員が勤務して居る。戦災被害は軽微で診療に支障はない」と記されているのである。
 右書は昭和二十二年時点の報告と思われる。というのは、右の「一、診療機関」の記事中の「静岡県医師会浜松支部」の戦災被害状況を述べた後に、戦後の仮診療による「診療を再開するもの漸く多く、昭和二十二年二月現在に於て一〇三名の開業医師を見るに至った」と記しているからである。
 この記事に信を置くならば、「戦災被害は軽微で診療に支障はない」ということから、「浜松診療所」は戦時中にはすでに中沢町に存在し、医師会派遣の医師ではなく常駐職員を擁していたことになる。ただし、ここでの診療科目の記事はない。
 右の『浜松市医師会史』のコラム記事と合わせてみると、戦後の一時期、同じ中沢町内に短期間ながら戦時中以来の「浜松診療所」と、戦後の医師会による「浜松市綜合診療所」とが共存した期間があったことになろう。
 しかし、戦後の「浜松市綜合診療所」が新聞二紙の報道のように、上池川町の所在ならば、何も不自然ではなかろう。新聞記事の使命の一つは速報性にあろうし、しかも生命を左右する医療関係記事で診療所の所在地を誤報する可能性は低かろう。他方、『浜松市戦災史資料』四の「衛生・医療関係」に見える「浜松診療所」は昭和二十二年時点で現存している機関の記事であるから、誤った復命書とは思われない。
 『浜松市医師会史』の編さん時に既存の「浜松診療所」の記事と重複した可能性があろうか。「浜松市綜合診療所」が中沢町で開設されたという、その町名にのみ疑問が持たれるのであって、その運営が一年そこそこで閉鎖されたのはいかなる事情によるものか不明ながら、上池川町での設営の方が可能性はあろうか。