浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 四

第二章 復興への努力と民主主義

第八節 医療・厚生

第一項 敗戦前後の医療・厚生体制

病院再興と新設

【新聞紙面の広告 浜松市綜合診療所 浜松市医師会
 病院・診療所の疎開先での再開、あるいは復興状況の一部は、端的には新聞紙面の広告に表れている。例えば『静岡新聞』によれば、板屋町谷口外科病院は昭和二十年九月二十五日付に磐田郡二俣町山東の市川医院跡に仮診療所を開業した事を告げ、次いで同二十一年六月二十五日付では、六月二十八日に市内常盤町村尾病院跡で診察開始予定と案内した。また、同二十年十月十七日付では東田町佐藤病院前院長の佐藤一雄が鈴木式織機工場内の高塚診療所として開業したことをいう。その文面には「本工場従業員家族ノ他一般社外患者ノ治療往診入院ヲ取扱ヒマス」とある。同二十年十月二十八日付には元城町山田外科病院が元城町に仮診療所を十一月中旬開院予定とある。

図2-55 個人病院の開院広告(1)


図2-55 個人病院の開院広告(2)


図2-55 個人病院の開院広告(3)

 このほかにも管見の限りでは昭和二十一年三月八日付で元城町内田産婦人科医院、三月十八日付で元城町山本医院(産科婦人科)、四月五日付で元目町水谷医院(内科小児科耳鼻咽喉科)、四月十一日付で山下町宅間医院(内科小児科レントゲン科)、六月九日付で美甘医院(眼科)の舞阪町弁天島での仮診療所、六月十日付で伝馬町増田内科医院、六月十一日付で田町平野医院(小児科)、六月十二日付で伝馬町中野医院(耳鼻咽喉科)、六月二十六日付で広沢町浜松脳病院(看護婦募集)等が見える。
 『浜松市医師会史』の冒頭の年表および巻末のコラム欄(七五九頁)には、浜松市綜合診療所が新設された記事がある。場所は中沢町で、医師浜松市医師会からの派遣によるものという。このコラム欄(横書)には次のように書かれている(ここでは縦書きに改めた)。
 戦災後浜松市の病院医院の殆どが罹災し、医師各々郡部に疎開した為、市民の医療機関は全く途絶した。
 為に市設診療所の設置を計画し、医師会と協議折衝の結果中沢町三百四十八番地旧婦人作業所に舎屋を建設し、昭和二十年十月一日より昭和二十一年十二月三十一日迄運営された。
 診療所長に岡部愼爾、副所長に松下稲覧が就任。内科、小児科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻科、皮膚科、歯科の8科よりなった。
 しかしながら、この診療所の開設を報道する『静岡新聞』(昭和二十年九月十五日付)は次のように記している。
 浜松市の綜合診療所上池川の婦人勤労所の建物を活用していよいよ来る廿日から開所することゝなつた 診療科目は内科、外科、小児科、産婦人科、耳鼻科、歯科等で調剤室も設け追つて神経科、性病科も増設する
 これによれば場所が中沢町ではなく、上池川町であり、旧建物の名称は両記事共にほぼ同じで、診療科や増設予定の記事の有無が違う。また、『毎日新聞』(静岡版、同年十月二日付)には、「浜松に市民診療所」の標題で、十月一日からの診療開始を報じている。場所は右同様に市内上池川町と記し、八科の診療を「医師会から専門医が交代で出勤診療に当り、乳幼児の保健相談にも応ずる」と報道する。